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本物の英語の勉強ー退職後1

 最近の教育論争を見ていて、黙っているわけには行かなくなって、英語教育論を書いてしまいました。書き始めると、次々に書きたいことが出てきて、ついに三ヶ月が過ぎてしまいました。このような文章は左脳で書くことになるので、関心のない人にとっては面白くないかもしれません。そう思いながらも、ここまで続けてしまいました。お許しください。

 「ボケないで生き抜く」とどう関係があるのかといわれそうですが、少し釈明をさせてください。

 高齢の方も交えたクラスでした。「高等学校では、制服は廃止すべきだ」という提案で、ディベートを予定しました。ジャンケンで賛成側か反対側かを決めたのですが、その方は、賛成のほうになりました。

 ところが、準備をしているときに、中に加わろうとしなかったのです。聞いてみると、「私は高校には制服が絶対に必要だと思う。だから、制服廃止では議論が出来ない」というのです。

 ディベートというのは、言葉の遊びです。遊びですが、思考が柔軟でなければ出来ない遊びです。残念ながら、この方は相手チームの意見をきちんと聞こうとしないだろうと、ジャッジ側に回ってもらいました。思考を柔軟にするというのは、退職後で一番大事なことではないでしょうか。

 もうひとつ紹介します。先日、ある組織からTIMEを読む会をやってもらえないかという話がありました。私はもう40年ほどTIMENewsweekを直接購読して読み続けています。大学のクラスを持ったこともあります。だから、一時は、がんばろうかとも思いましたが、思いとどまりました。

 一字一句を確実に日本語にしないと満足しない受講生が必ずいるのです。たとえば、今手元にNewsweekMarch 26,2007)があります。開けてみるとTrade Starts At Homeという表題が目に付きました。これはどのように訳すかを考え、この表現はどこから来たのかを考えます。おそらくCharity begins at home.という諺をもじったものだろうとか、場合によっては、英米の詩人や作家の語句を引用しながら、いわば博識をもって説明をすると、満足してもらえます。

 しかし、私はそのようなことが大事だとは思えません。一言一句にこだわるよりも、「この人はどのような立場からこれを書いているか」「ここに書いてある意見を、あなたはどう思うか」などを話しあって、初めて「読んだ」ことになると思うのです。

 学生ならともかく、ひと年いった人に、私の考え方を押し付けることはできません。絶対に避けたいことです。一緒に文章を読んでいく喜びもあったのですが、残念ながら、その申し出を断ってしまいました。

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本物の英語の勉強ー入学試験2

 本来は、大学の教育方針に従って、どのような英語の力を持った学生を入学させるという確固たる信念があって、初めて入試問題の作成ができます。しかし、今では、そこまで考える余裕がありません。しかも、「教養としての英語」という区分がなくなって、英語を担当するものは、英文学、米文学、英語学、英語教育学、コミュニケーションなど、専門科目を持った者だけになってしまいました。

 英語教育はともかく、ほかの人々とっては、ある能力を測定するためにはどのような出題が適当か、その出題はどのようにすればよいかなど、能力の測定についての蓄積がまったくありません。

 かつて、ある大学が入試問題の作成を予備校に依頼したことがあります。それこそ非難の集中砲火を浴びました。でも、これはその大学だけの話ではなくて、どの大学でももう限界に来ていることを物語っているのです。

 TOEICTest of English for International Communication)は、その名の通り、コミュニケーションを主体にした英語の力を測定しようとしているようです。しかも、テストの出題についての研究を積んだ専門家が出題します。大学の臨時の作成委員とは質が違います。さらに、テストの構成は、リスニングが五~四九五点、リーディングが五~四九五点になっていて、総計では一〇~九〇〇点のスコアで出します。センター試験で非常に苦労しているリスニングの能力測定も、ここでは得点の半分を占めています。

 もちろん「ことば」の力を、一斉テストで測定すること自体に無理があります。しかしsecond-best(次善の策)として考えるならば、こちらのほうがよいであろうということです。

 TOEICを大学入試に採用すると、声高に言われてきた「諸悪の根源」はなくなるでしょう。高校の授業は、文法訳読中心からコミュニケーション中心に変わるでしょう。そして、中学校も音声中心に変わっていくでしょう。日本の英語教育を救うには、これしかないのです。

 このグローバルな時代に、「私は英語がしゃべれません」と、スピーチの冒頭に侘びを入れなければならないような事態はあってはならないのです。堂々と世界に羽ばたく、いやそのように大げさでなくても、英語だけでなく「ことば」というものを恐れることなく、ごく自然に使えるようにするのが、英語教育の使命であると、もう一度考え直す必要があります。

 私は、ほかの統一テストには関係したことがありますが、TOEICとは、現在も過去にも一切関係はありません。念のため。

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本物の英語の勉強ー入学試験1

 「大学入試があるから、本来の英語教育はできない」「入試があるから高校では文法中心に教えざるを得ない」。このような非難がちまたに渦巻いていて、大学入試は「諸悪の根源」になっています。確かにそうかもしれません。

 しかし、試験があるからこそ、みんなが勉強するというよい面もあるのです。したがって、出題の仕方を変えさえすればよいのです。どうすればよいか、そのことがずっと気になっていました。そこで、新しい提案をしたいのです。現役の大学教授を退いた今だからこそ言えることです。

 大学の面子があって、今まで誰も言えませんでしたが、現場ではもう限界なのです。大学内で入試問題を作成するのをやめて、民間のテストを採用しようという提案です。全国の大学から猛反対を受けそうですね。

 具体的に言いましょう。TOEICを採用するのです。そんなことを言っていいのかといわれそうです。しかし、TOEICは、現在国内で行われる英語のテストとして、相当広く認められてきています。年間の受験者数は、一五五万人。ちなみに今年のセンター試験の受験者は五五万人ですから、その三倍もの受験者がいるのです。

 大学では、TOEICの点数によって必修の英語を免除するところもあります。また、TOEIC受験用の講座を設けて、卒業までにできるだけよい得点をクリアして、就職に臨むように進めているところも多いのです。

 一方、大企業での利用も増えています。たとえば、管理職に昇進するにはTOEICの六〇〇点が必要だと定めているところもあるようです。

 このように英語の能力の測定がTOEICに収斂していくのであれば、いっそのこと大学入試もTOEICにまかせてしまってはどうかということです。

 もうひとつ、「限界だ」という大学側の実情があります。入試の時期になると、どこそこの大学の入試問題が間違っていたという新聞記事が出ます。これは大学にとっては大きな恥ですが、その出題を担当した者にとっては、まさに屈辱以外のなにものでもありません。

 特に英語の出題については、大変な苦労があります。作成委員は、正式には前年の四月に決まりますが、それ以前から入試問題に使えそうな英文を探します。適当な長さがあって、その文章でいくつかの設問が出来るような文章は、それほど多くはないのです。それに、一度使われたものは避けなければなりません。自分で英文を書けばよいではないかと言われるかもしれませんが、自分で書いた英語の文章を公式な形で採用するはまず無理でしょう。

 練りにねって提出した原案は、委員会で何回もの検討を重ねます。しかも、複数の問題候補を作り、最終的にどれにするかを秘密裏に決め、外に漏れないところで印刷し、厳重に保管する。入試問題担当になると、その一年間はほかの事を差し置いて、ただそれだけに没頭していなければその責務はまっとう出来ないのです。

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本物の英語の勉強ー大学3

 最後に「批判的リーディング(Critical reading)」についてお話しなければなりません。文章として書かれたものは、なかなか反対しにくくて、そのまま鵜呑みしてしまうことが多いのです。最近は、あまり文章を読みませんから、むしろ「聞いたことは」といってもいいでしょう。

 文章や話を、その文面や言葉どおりに受け取るのでなくて、それがどのような立場で言われているのかを、見極めるのです。

 ひとつの例を挙げて見ましょう。この冬には、タミフルの問題が起こりました。厚生労働省の最初の見解は、「服用と異常行動には因果関係は立証されていない」ということでした。もし、批判的リーディングを身につけているならば、この所見はどのような立場から言われているかを考えるでしょう。

 その後判明したことですが、調査会委員の中に、製薬会社から研究費を出してもらっているものが複数いたのです。そうすると、最初のコメントが、本当に公平なものかどうか疑いが生まれます。

 さらに、今述べたこととは矛盾するようですが、「人間は自分が聞きたいと思うことしか聞かない」というコミュニケーションの原則があります。

 「すばらしい景色だな」と感心して見た場合でも、その景色のすべてを覚えているわけでもないでしょう。同じように、自分が聞きたいと思ったことは聞いているけれども、「聞きたくない」と思ったことは聞いていないのです。

 「言ったでしょう」と母親。「そんなこと聞いてない」と子供。「ここは教えたはずだ」と教師。「習ってない」と生徒。言ったら相手がわかっているはずだという誤解からはじまります。

 さらに、もうひとつあります。「表現の仕方を知らない場合は、そのことが伝えられない」のです。第二言語がからんでいる場合は、特に気をつけなければならなりません。例を考えてみましょう。

 「日本では、銃規制はどうなっていますか」と聞かれた場合、「禁止されています(Guns are prohibited.)」というのは簡単です。しかし、「警察や特殊な人は許可を得て所持できる。しかし、一般人は所持することも許されない」と具体的に英語で説明できるでしょうか。これは外国に行ったときもそうです。人の話の文面を、そのまま受け取ってはいけないのです。

 もう残された年数には限りがある時期になって、しみじみとことばについて考えながら、学生たちに理解してもらえるよう努力しています。

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本物の英語の勉強ー大学2

 第二のスキルは、正しい形で議論が出来ることです。自分の意見をきちんと論拠を示しながら、相手が納得してもらえるように述べる。さらに、相手の議論の弱点を見極めて、きちんと反論できることです。

 日本の文化にはない習慣なので、学生たちは戸惑います。特に最近の学生は、相手の意見に反対するのが怖いと言います。年々この傾向が強くなっていくようですが、私の感じだけでしょうか。

 アメリカの政治家は、ディベートの技術をしっかり身につけているといわれます。意見を述べるだけではだめで、相手に納得してもらえるだけの論拠を示し、しかも相手の議論に、きちんとした証拠を示して反論する。そうでなければ、議論は正当化されないのです。

 教室では、もちろん、本式のディベートには及びません。教室用にゲーム化したものを、さらに簡略化した形式を使います。

 現状を変える提案を示し、その意見に賛成か反対かでどちら側を取るかを決めさせます。例えば、提案として次のように示したとします。

The civil code should be revised to allow different surnames.

(夫婦別姓を許すように民法を改正すべきだ)

 賛成側としては、どうして現状を変えなければいけないのか、変えるとどのような利点があるかなどについての根拠を三つ。反対側としては、現状でいいのだという根拠を三つ。これを板書しながら、みんなで考えます。もちろん英語で行います。

 本式のディベートでは、ディベート当日になって、賛成側に立つか反対側に立つかを決めますが、それはとうてい無理です。あらかじめどちらかに決めておいて、グループで協力しながら、主張の根拠になるものをインターネットや書籍でいろいろと調べます。

 たとえば、夫婦別姓は、国際的にはどうなっているか、日本でなぜ反対が多いのか、将来現状が続く見込みはあるのか、別姓の主張は必ずしも女性尊重の立場からだけでもない、などさまざまな問題が出てきます。学生たちは、一度やり始めると、それこそはまってしまいます。これまで感じたことのないほどの興味とやる気を持ちます。

 ひとつの考えには、必ず賛成と反対の両方の意見が成り立つこと。そして、それぞれにきちんと論拠を立てることが出来ること。反論するにはどのように論拠を立てればよいか。どのように反論すればよいか。このようなことを体得していきます。

 「人の考えに反対して、あいつはけしからん」というのが、日本人の心情ですが、それは世界では通用しません。反対意見があるからこそ面白いことがわかって、英語はそれこそ四苦八苦ですが、メモを見ながら必死でやっています。

 一年間で、「意見の陳述」、「相手の意見への反駁」、そして「まとめ」のスピーチまで、何とかまがりなりにも進めます。

 いったん始めると非常に面白いのです。しかしながら、講義概要を見ただけの段階では、そんなにしんどいなら止めておこうということになりかねません。

 どれぐらい履修者がいるか心配していましたが、でも、ふたをあけてみると、今年は四人の受講生がいました。ジャッジになるものがいせんが、毎回ディベートを担当して、密度の濃い授業が出来そうです。

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本物の英語の勉強ー大学1

 大学レベル、つまり社会に出る前に、ぜひ身につけておきたいスキルが三つあります。

 第一は、英語でのプレゼンテイションの技術です。自分の考えを、序論、本論、結論ときちんと順序たてて、英語で発表できることです。文章を書くのもそうですが、人前で話すのもなかなか大変です。

 私は大学で、英米のニュース番組を視聴して発表する講義を持っています。ABCではA Closer Look, NBCではNews In Depthなど、ひとつのテーマを取り上げて、より深く検討したものがあります。教室でこのような特集番組を視聴した後、そのテーマについて120語ぐらいで学生が発表するのです。

 発表の原稿は、必ずパソコンで書いてくることにしています。前に述べたように、そうするとつづりなどは、パソコンがチェックしてくれるので、私は文章の構成を主に見ることにしています。「この導入はうまい」「この筋立てはうまい」とかのコメントを書きます。もっとも「ここのところを、もうちょっと考えろ」というほうが多いのですが。

 ただ、中学校で英語を週に三時間しか学習していない学生たちが大学に進んできて、困りました。自分の考えをまとめることが出来ないのは、やむをえないと割り切っていますが、語彙数が徹底的に少ないので、文章が書けないのです。「辞書を引きまくれ」といっていますが、なかなか文章にまとめるのが難しいようです。

 それ以前に、もっと困ったことがあります。テレビのニュースを聞き取り、さらに文章を書いて発表する。このように要求度の強い講義は、学生から敬遠されるのです。

 このような授業は、「友達がこんなに努力している、だから自分もがんばろう」と、学生同士のプレゼンテイションが大きな刺激になるのです。しかし、履修する学生が一〇人を切ってくると、そのエネルギーが生まれにくいのです。

 私は今年七五歳ですが、もう一年がんばろうと思っています。一人ひとりの文章をみて、いろいろと話すのが、何よりも楽しいのです。

 この四月に、いざ開講してみると、一四人の受講生がいました。みんな熱心です。これからの一年間、楽しい授業が出来そうです。

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本物の英語の勉強ー高等学校4

 そこまでやらなくてもと考える一般の高校生はどうしたらよいでしょう。そこそこに英語を勉強しておく。そして、やりたいと思ったら、真正面から取り組む。徹底的にやればすぐにものになります。そのような柔軟な姿勢を持つことが大事なのではないでしょうか。

 先日のことです。フランスの禅についての放送がありました。弟子の一人が、「私は少しですが日本語が話せます」といって、説明をしていました。日本人はどうでしょう。“I can’t speak English,”と英語で言いながら断ります。この態度の違いはどこから来るのでしょう。英語教育を担当するものとしては、ことばを難しく教えすぎるということを、真剣に受け止めるべきことではないでしょうか。

 話は変わりますが、相撲界には、多くの外国人力士が修業しています。日本語でのコミュニケーションがうまくいかなければ、強くなることはとうてい望めません。つまり、番付の上位に上っている力士たちは、例外なく日本語が非常に上手になっています。

 どのように勉強するのかと聞かれたとき、多くの力士が、「カラオケとテレビ」と答えます。小学校の項でも述べましたが、歌は非常に有効です。ごく最近のものはわかりませんが、Mariah CaryHero, Celine DionTo Love You Moreなどは、年齢的に考えても納得できるのではないでしょうか。少し前であれば、The Carpentersがあります。

 映画もいいですね。最近は吹き替えが多いのですが、英語のままで字幕付きがいいですね。ときどき聞き取れたときなど、思わず「わかった」と叫びたいほどです。そのときの表情、イントネーション。

 これらを確かめるには、オードリー・ヘップバーンの作品を勧めます。発音がきれいなだけでなく、彼女の目の動きにはたまらない魅力があります。余談ですが、『ローマの休日』では、最後の記者会見の場面で、目で「内緒にしてね」とある新聞記者に訴えます。おっと、これは言葉ではありませんね。しかし、ことばは、コミュニケーションの一部なのです。

 五百円でDVDがでていますが、「荒野の決闘」などの西部劇や戦争ものはやめた方がいいでしょう。Jargonといいますが、その仲間内だけで通用する独特の用語が多く、しかも訛りがあって、聞き取れなくて当然なのです。真似をする必要もないでしょう。

 こんなことを考えていると、英語の勉強は面白いですよ。たとえ世界に羽ばたくような夢は、今持っていないとしても、こうやって、ことばの世界の面白さを知ることは、決して無駄にはならないと思います。

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本物の英語の勉強ー高等学校3

 それでは、どうやって語彙を増やしたらよいでしょう。

 第一は、学校のテキストの語彙を前後関係も含めて覚えることでしょう。あわせて、つづりも覚えて、表出語彙にしてしまうことです。昔は、「cold―寒い、冷たい」というように、英語と日本語を対照して覚えました。しかし、これには無理があります。文脈の中で覚えることです。

 次に、語彙を覚えるといっても、日常の生活と離れていると、なかなか自分のものになりません。そこで、NHKの英語ニュースを見ることを勧めます。今はデジタルで受信すると、音声切替ボタンで、簡単に英語で聞くことが出来ます。

 完全にわからなくても、大体を聞いておくことです。こうすると、自分が知っている分野のことはわかりやすいけれども、自分が知らない分野のことは単語が聞き取りにくいことに気づきます。幅広い分野に関心を持たねばなりません。

 英字新聞も役に立つでしょう。殺人事件や裁判など、日本語の新聞を参考に読んでいきましょう。たとえば、執行猶予(probation)という単語などは、実際の裁判の判決を知って、初めて物に出来る単語です。ウエーバー(waiver)なども、英語での意味がわかると、野球界では、少々ピントはずれで使っているなということもわかります。

 次に、文明の利器を大いに活用しましょう。三万円も出せば、音声付の電子辞書が買えます。キーワードと思われるものは、辞書を引いて、発音とともに確かめておきましょう。

 もうひとつ大事なことは、自分で英語を使うことです。その第一は、日記を英語で書くことでしょう。その日に起こった事柄を並べていくだけでもいいのです。そのうちに、自分の感想を付け加えましょう。あるいは、こうすべきだという意見を書くのもいいでしょう。毎日一ページの日記を義務付ける。いいですね。繰り返しますが、取り入れるだけではダメなのです。出さなければ物になりません。

 最初はノートに書いていくことを薦めます。そのうちに、パソコンで、書いていきましょう。高校時代に、キーボードは十本の指で打てるようにしたいものです。

 Wordなどのソフトを使うことが多いでしょう。便利なもので、つづりをチェックする機能がついていて、間違っていると赤い下線がつきます。クリックすると、正しいつづりがでてきます。また、文法的な間違いがあると、今度は青い線が出てきます。なぜそうなるかわからないときは、先生か誰かに聞いてみましょう。文法というものはそうやって覚えていくのが、大変効果的です。私たちは文法の大家になる必要はありません。

 今各界で活躍している人々は、英語を自分なりに勉強していました。私も、当時は短波放送で、FENなど外国の放送を聞いたものです。しかし、本当に力がついたのは、自分で英語を書き出してからです。自分を表現することが、ことばを勉強する最も効果的な方法なのです。

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血圧の薬をやめるーコラム7

 もう三〇年も飲み続けているのです。飲み始めると「死ぬまで飲み続ける」と言われます。

 しかし、退職した今、以前のような仕事上のストレスがあるわけではない。薬といえども、体には異物であり、副作用がないはずはない。そう思いながら、なんとか薬をやめるほうはないかと考えてきたのです。

 昨年の暮れに、かかりつけの医者に相談したところ、「これから寒くなるのに、やめるのはリスクが高すぎる」といわれました。

 しかし、最近は『薬をやめたら病気は治る』など、長年飲用する薬の害を述べる本が多く出ています。そこで、自分で止めて、下がった数値を持って医者に相談しようと計画を立てたのです。

 二月中旬の寒い時期に、カルスロット10mgを二つに割って、つまり半量を飲むことを始めました。毎朝起床時に血圧を測定する。しばらくは150-90を上回る数値が出ていました。それでも一週間に一回ぐらいは全然飲まないことにしました。飲まないと170-98(時に100)ぐらいになることもありましたが、130-80に近づくと、薬をやめる。

 一方生活の信条も変えました。血圧はストレスで高くなる。だからストレスをなくすのです。特に長年の忙しい生活で、いつものどの奥を緊張させているのです。気をつけては、それをなくすように努めました。

 ところで、思わぬ特効薬があったのです。この連休の4日に、孫が聖徳太子について学校で勉強しているというので、飛鳥地方の散策に出かけたのです。歩数は25,000歩、14キロに及びました。今朝起きて血圧を測ったところ、びっくりしました。118-70と、今まで出たことのない数値です。

 そういえば、4月に教え子とウオーキング(20000歩)をしたときも、133-83に下がっていました。ウオーキングで血圧が下がるのです。

 血圧降下剤を飲んでおられる人は多いと思います。これはあくまで医者と相談しながらですが、といっても私はまだしていませんが、半年ぐらいをかけてゆっくりと薬の影響をなくし、一方で、高血圧の原因になるような生活、特にストレスを除くようにすれば、薬をやめることに成功するとのではないかという希望を見出しました。

 試みる価値はありそうですよ。

安保徹 『薬をやめると病気は治る』マキノ出版 2004

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本物の英語の勉強ー高等学校2

 生徒自身が、まず自分の志望をきちんと決めることでしょう。国際機関など海外で働く、英米の大学に留学する。英語を使う職業を目指す。いずれにしても、そのつもりで、最初から自分でしっかり勉強をしなければなりません。目標を持って勉強するのと、しなければならないから勉強するのとでは、進歩の度合いがまったく違います。

 それに、もうひとつ問題があります。教科書自体がそこまでを目指していないのです。たとえば語彙数で考えて見ましょう。以前の指導要領では、高校で履修すべき語彙は2,100~4,500ありました。今はどうでしょう。ほぼ1,800語しかありません。中学をあわせても3,000語ぐらいにしかなりません。

 大学の入試には、センター試験(一次)とそれぞれの大学で行う二次試験があります。どれぐらいの語彙数を頭においていのでしょう。高校で使われている教科書はあまりにも多すぎて参考にできません。結局は、辞書などに出ている「高校必須単語」などの類別を参考にすることになります。

 この類別によると、「中学校必修単語」を加えると5,900語ぐらいになります。現行のカリキュラムでは3,000語ぐらいですから、現在の大学の入試でさえ、2.000~3,000語の差が出てきます。

 大学のレベルを下げればよいのかというと、そうはいきません。語彙というものは、専門的には、認識語彙(recognition vocabulary)と表出語彙(production vocabulary)に分けて考えることができます。「認識語彙」とは、聞いたり、書いてあるものを読んだりして、だいたいどのような意味かがわかる語彙のことです。「表出語彙」は、自分で使うことが出来る語彙をさしていいます。

 ネイティブ・スピーカーがどれぐらいの語彙を使っているかというと、確証はありませんが、ある調査によると、大卒で、一〇万ぐらいの認識語彙、一万から二万ぐらいの表出語彙を持っているといわれます。私たちが、第二言語として学習する場合でも、認識語彙で5,000~10,000語、表出語彙で3,0005,000語は必要といわれます。

 大学では、英語で書かれた本を参考にしたり、英語で発表したり聞いたりしなければならないことを思うと、レベルを下げるわけにはいきません。現行の高校までのカリキュラムでは、無理があることがおわりでしょう。いわば、はしごが途中までしか届いていないのです。

 したがって、教科書に出てくる単語は表出語彙にするぐらいの気持ちでがんばらなければならないでしょう。しかも、TOEFLTOEICなどの試験を受けて見ると、幅広い社会生活についての語彙が不足していることがよくわかります。

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