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最後の一葉1

 先々週の日曜日になりますね。木枯らし第一号が吹き荒れました。あたりの空気は急に冷え込んで、思わず前かがみになってしまいます。門の脇の花みずきの葉っぱも、あれほど鮮やかな紅葉を見せていたのに、もう数枚になってしまいました。

 そんな様子をみて、O. ヘンリーの「The Last Leaf(最後の一葉)」を思い出したのです。あの作品にある葉っぱはなんだったのか。まさか花みずきなんてしゃれたものではないだろうと、O. Henry At His Best を読み直してみました。

 古い煉瓦の壁にへばりついていた「つた」の葉だったのです。ニューヨークの下町の、建物が入り組んでいるところ、三階建ての煉瓦作りの家の最上階に、スーとジョンジーの二人が共同で部屋を借りて、スタジオにしていました。

 ところがジョンシーは、肺炎で寝込んでしまい、日に日に弱っていきます。そして、窓の外を眺めては、数を逆に数えているのです。壁に残ったつたの葉っぱを数えていたのでした。

 「あの最後の葉っぱが落ちたとき、私は死ぬわ」本当にそう思い込んでいたのです。

 ついに最後の一葉になったとき、雪まじりの冷たい雨が窓に打ちつけ、一晩中吹き荒れたのです。

 翌日もう葉っぱはなくなっていると思って、スーがおそるおそるブラインドを開けてみると、最後の一葉はまだ残っていたのです。

 「今日は落ちるわ。そしたら私は死ぬの」

 夜になると風は再び吹き荒れて、雨が窓に打ち付けていました。

 翌日ブラインドを開けてみると、そこにはまだ最後の一葉があったのです。葉の根元はまだ濃い緑色で、葉っぱの先のほうは黄色で、神々しく、なんともいえぬ存在感があったのです。

 ジョンジーは、あの葉っぱのように、どんなことがあっても生きぬこうと心に決めました。

 同じ建物の地下に、年を取った画家が住んでいました。一生のうちに一度でいいから傑作をものにしたい。そう思いながら一生懸命に絵の勉強をして生きてきたのです。しかし、一度も日の目を見ることはなかった。

 実は、その葉っぱは、彼の最後の傑作だったのです。嵐のなかで、雨に打たれながら描き挙げた後、その画家は肺炎を起こして死んでしまったのです。最後の傑作が、人ひとりの命を救い、そして、その本人の命を奪ったのです。

 O. ヘンリーの作品は、短編ですが、そのなかに、人々の暮らしの底にある大切なものを描き出しているのです。

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声の大きさ3

 さて、現在の生活を見回してみると、このような区分わけは現在の日本にも十分に当てはまるようです。

 ただ、感度の良いマイクや音響施設ができ、一方では、携帯電話が普及したことで、これまで経験したことのない状況がうまれ、この区分に混乱が生じたということでしょうか。

 特に電車の場合、周りの騒音もあって、車掌自身は意識していなくても、聞くほうにとっては、かなり大きな声のアナウンスになります。社会的距離、時には演説の距離と錯覚するのでしょう。これでは乗客はたまりません。特に電気的に処理された音声は、耳栓を通り越して中の鼓膜にまで減衰せずに入ってきます。

 いや実を申しますと、友達の話を聞いて、先日飛行機に乗るときの耳栓をはめてみたのです。しかし、まわりの乗客の話し声はウソのように消えますが、スピーカーからのアナウンスには全然効き目がありませんでした。これでは防ぎようがありません。

 ある町の地下鉄は、音が大きいだけではありません。「宝石と貴金属の○○、呉服の○○、何々の○○百貨店においでの方は、次の駅でお降りください」と、宣伝までいれるのです。これはもう乗客に対するいじめとしか思えません。「こんなところに宣伝を言わせる企業から絶対に買うものか。」もっとも、この年になると、今さら買いたいものもありませんが。

 いや話が飛びましたが、マイクを使うときにも「個人的な領域」で話すように心がけるべきでしょう。

 学校の教師は、大体に声が大きいのです。教室では、広さは社会的距離になりますが、「個人的な距離」で話ができるようになると、ベテランです。クラスは温かい雰囲気に包まれて、子供たちはよく話を聞いてくれます。

 「演説の距離」にあっても、マイクを使うときは、「個人的な距離」にトーンダウンした話ができれば一流でしょう。話がうまいとか、下手だとかいう判断は、本人は気がつかないかもしれないが、実はこの話し方、つまり音量で決まっているように思います。第一、演説の距離の話し方で、増幅した大きな音は、心理的に相手の耳をふさいでしまうのです。

 このようなことを考えると、ホールの四つの区分はなかなか面白いですね。お互いに、お互いの存在を確かめ合って、お互いを尊重しながら過ごしたいものです。

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声の大きさ2

 さて、最初の「親密な距離」では、恋人同士が話しているところを想像してもらえばわかります。話し方もwhisper(ささやき)があてはまるでしょう。

 次の「個人的な距離」は、二人または数人で内輪のことを話す距離です。あたり一面に聞こえるような大きな声は出しません。音声はsoft(やわらか)なレベルです。でも、中には大きな声で話す人たちもいますね。

 スコットランドのエディンバラからロンドンへの列車に乗ったときのことです。窓から牧草地が次々に見えて、あちこちに牧草を丸めた束が順序良く並べられています。イギリスって狭い国かと思ったら、案外広い国だねと景色の移り変わりを眺めながら家内と話していました。ところが、ある駅で中年の女性が数人乗り込んできました。いやその話し声の大きいこと、話している英語はアメリカン・アクセントだったから、アメリカからの旅行客だったでしょう。

 ホールは、アメリカ人の声の大きさについて、こう言及しています。

「アメリカ人は大声で話すと、非難されてきたが、これは自分には隠し事がないというオープンさの表れだ」(同書 p142

 とんでもない。こんな大声が聞こえてくると、もう牧歌的な空気も、旅しているというゆったりした気持ちも吹っ飛んでしまいます。個人的な距離には、それなりの声の大きさがあるのです。

 「社会的な距離」は、お互いに個人的な干渉には巻き込まれないですむ、お互いの独立が保たれるという距離です。ビジネスなどは、この距離になるでしょう。一般に親密度の低い人との会話は、このようになるでしょう。

 家庭内でこの距離を保とうとすると、どうなるでしょうか。昔ブロンディという漫画がありましたね。ブロンディは、夫ともう口を利くまいと決心します。そして、部屋の椅子を背中合わせに並べなおしたのです。そうすると、背中同士では、個人的な領域には入り込めません。

 このときの言葉の大きさについては、loud(大きい)ということになります。隣の部屋にいても聞こえるでしょうし、戸外ならば、周り一帯に聞こえるでしょう。

 「演説の距離」は、大多数の人数を相手にする距離です。ここでは必然的にshout(叫ぶ)が当てはまります。多くの人を相手に演説をする。今ではマイクがあるのでそれほど叫ばないかもしれませんが、聴衆にとっては、その人の顔の表情はそれほどわかりません。手を振り回すとか、体を上下に振る。そんな大きなジェスチャーだけでしょう。

 したがって、これはあくまで一方的に話をする距離です。相手の気持ちを汲み取ろうという気持ちは、もともとないでしょう。

 ある国のニュース放送は、頭から声を出して、徹底的に畳み掛けてきます。どこかで聞いたことのある話し方だと思ったら、小さいときに聞いた戦時中の大本営発表でした。相手に有無を言わせずにねじ伏せようという話し方です。

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声の大きさ1

 「あのねえ。もっと早く出ようと思ったんよ。でも、急に用事を思い出してえ」

「用事って、そのお・・・」

 私はびっくりして後を振り向いたのです。後から来ている人と話しているのかと思ったのです。しかし、私の後には、それらしい人はいませんでした。前から携帯を耳に当てた女性が、大声で叫びながら、歩いてくるのです。まるで二〇メートルもある川を隔てて話しているような様子でした。

 話の内容は、周りの人に筒抜けです。プライベート、プライベートとしっこく主張している若い女性が、そこら中の歩いている人たちに、自分の内情をぶちまけているのです。

 そういえば、声の大きさについては、面白い研究があります。話し手とその相手との距離に深い関係がある。これを人間がもともと持っているterritory(領域)の立場から理論化したのが、エドワード・ホールです。

 The Hidden Dimension(隠された次元)が出版されたのは一九六六年で、もう四〇年も前になります。この本は、英語教育を勉強するものにとっては、必読の書にもなっています。言葉を教えるということは、結局は、効果的なコミュニケーションを図ることだからです。

 最近、声の大きさについて気になることが多いので、その内容について、かいつまんでお話しましょう。彼は、話し手同士の距離を四つに区分して考えました。

一、親密な距離(Intimate distance)ほぼ一五センチから四五センチ

二、個人的な距離(Personal distance)四五センチから一メートル二〇センチ

三、社会的な距離(Social distance)一メートル二〇センチから三メートル

四、演説の距離(Public distance)三メートル以上

 もちろん、これは、その人が住んでいる地域の文化、つまり習慣の違いによってかなり違うでしょう。それに同じ文化でも、個人によってかなりの差があります。だから一概には言えません。

 しかし、一人の人間の周りには、まるで風船のようにその人の領域を表す目に見えない外縁がある。そして、相手との親密度に応じて距離が変わり、声の大きさが変わる。そのことには、間違いはないでしょう。

 面白い経験があります。ある国際会議の後のパーティでのことです。アメリカ人の学者と話をしていました。相手があまりに近寄ってくるので、私は後ずさりしました。相手が寄ってくる。私は下がる。とうとう部屋を横切って、さらに迫ってくるので方向を変えて、また別の壁まで行きました。

 「Personal distance が違いますね」と、大笑いしたのを覚えています。

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耳栓が必要ですか4

 「関東自動車の路線バスが、小学一年女児(七歳)の手をはさんだまま、乗降口のドアを閉め、約40メートル走行していたことが、二二日、わかった。」(時事通信20071022日)

 その前にも、幼児を乗せた乳母車をドアにはさんだまま、電車が発車した事故がありました。

 こんな話を聞くと、もうまったく身の毛がよだつ感じがします。

 でもこれは、よその町のことだからと、みなさん安心しておられませんか。

少し前のことですが、わが町の交通機関にも、次のようなことがありました。今考えてみても、穏やかでいられないのですが、でも、先ほどの友人の手紙のことがあるので、やはり書かなければいけないでしょう。

 行列に足が不自由な人が並んでいました。そして、その人が今乗ろうとするときにドアが閉まったのです。私はその後に並んでいたのですが、前に飛び出て、車を叩こうとしたのですが、バスは一瞬すりぬけて出て行ってしまいました。後から来ていた行き先の違うバスが驚いて警笛を鳴らしたのです。

 「まだ乗客がいるのに、なんで発車するのだ。行って呼んで来い」と、後のバスに怒鳴りました。その運転手は、その前の信号で停まったバスに追いついて話していたようです。バスは引き返してきました。

 足の不自由な人は、「すみません、私がすぐに動けないもんだから」

「いや、そうじゃないですよ。(ゆっくり乗ってください)」

 運転手に対する怒りが飛び出しそうで、カッコ内の言葉は声にでませんでした。運転手だって人間だ。間違いはある。「我慢、我慢」と、自分に言い聞かせました。

 でも、車を動かすときに、運転手は、どうして左のミラーを見ないのでしょうか。定刻どおりに動かすために、時計ばかり気にしているように思えます。そして、アナウンスにも一生懸命です。これが、勤務評定になるのでしょうか。

 交通機関の使命は、「乗客を安全に乗せ、安全に運び、安全に降ろす」。そう思いますがね。

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耳栓が必要ですか3

 オーストラリアでもうひとつ驚いたことがあります。これもご紹介しないといけないでしょう。

 パースの町には、Blue Cat Red Cat と二つのバスルートがあって、市内はバス停のどこで乗っても無料です。しかも三分おきに運行しているので、これになれると街中の移動は実に便利です。バス停には、後何分でバスが来るという表示まで出ます。これはおそらく、Park & Rideの制度が徹底しているからでしょう。町に入る人は車をどこかの駅に駐車してそこから列車に乗ってやってくるのです。

 でも、街中に乗用車がいないというわけにはいきません。そのバスに乗っていたときのことです。繁華街で、ガチャンと音がして、何かにぶつかった感じがしました。横に白い車が見えました。その車の後部はへの字にへこみバンパーが吹っ飛んでいました。左手の道路から乗用車が飛び出して、右折したのが、バスと接触したというのです。

 そのときの車内の様子を、スローモーションで説明すると、ガチャンと音がしたが、バスはゆっくりと走って停まった。「なにがあったのか」という声。窓際の人が「車と接触した」。「大丈夫か」「乗用車は停まっている」「バスの運転手はブレーキも踏まなかった」

 ここが問題なのです。Evenと強調して言っていたので、「車が前に出てきても、ブレーキも踏まなかった」という詰問だったのでしょうか。

 私は別の解釈をしました。運転手があわててブレーキを踏むと乗客は将棋倒しになってしまう。だからブレーキは踏まなかった。そもそも、バスの前に飛び出した乗用車が悪い。

 運転手はブレーキを踏まなかったことを、これはプロだと思ったのです。もし踏んでいたら、多くの乗客が怪我をしていたかもしれないのです。このバスには、途中から多くの年配の人が乗ってきていっぱいでした。同窓会か何かがあったのでしょう。車内はにぎやかになっていたのです。車が横から飛び出したからといって、ブレーキを踏んでいたら、このような人たちがみんな将棋倒しになって、中には骨折する人もあったかもしれません。大変なことになっていたのです。

 「途中で止めるわけにはいかないので、次のバス停まで行きます。そこで後のバスに乗り換えてください」と、運転手はアナウンスしました。

 私は、外国でのこのような経験を思い出したのです。

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耳線は必要ですか2

 オーストラリアのパースからフリーマントルへ行く途中でした。列車が途中の駅で停まったまま、動こうとしないのです。

 「前の列車が事故を起こしたので、処理がすむまでしばらくここに停車します」とアナウンスがありました。近くにいた学生たちがざわざわと話していましたが、どっと降りて、右手の道路に走って行きました。そこにちょうどバスがやってきて、みんながそれに乗っていきました。なかには、左側の道路に下りて、通りがかりの車をとめて、乗せてもらっているものもいました。

 運転席に行って、運転手に話しているものもいましたが、「信号が赤なので動かせない」だって、と肩をすくめています。それにここは、無人駅なので、駅員はいないのです。

 それ以上躍起になっているものはいません。事故があったんだったら仕方がないではないかと、乗客はいたって落ち着いています。中には本を読み出したものもいます。ゆっくりと話をしているものもいます。実におだやかなものでした。

 「今日は天気が良いから、古い港町に行ってみよう」と、家内と出かけた旅なので、別に一分を争うわけではありません。私たちも、動くまで待とうとゆっくり構えていました。ただ、乗客の様子が日本とあまりにも違うのに、驚いているだけでした。

 日本であれば、「遅れたら、私の予定はむちゃくちゃになる。どうしてくれるんだ」と、運転手に詰め寄っているかもしれない。あるいは、「タクシー代をだせ」と言っているかもしれない。

 そういえば、交通機関は全体的にのんびりしているのです。発車するときも、「ドアが閉まります」といって、ドアが閉まる。発車ベルはない。車内でのアナウンスは、動き出してから「次は○○」だけである。「ご乗車ありがとうございます」なんてアナウンスはない。そんなことを二人で話していたら、やがて、列車は動き出したのです。

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耳栓は必要ですか1

 「電車の中で、なんであんなに大きな音でアナウンスをするんだろうね。しかも、いらんことを言い過ぎるんじゃない」

「うん、そうだね。なんとかならんものかな」

 そうあいづちを打っていたら、その友人は、とうとう、たまらなくなって市長に手紙を出したというのです。

 コピーしたものを見せてくれたので、どんなことを書いて出したのか、その内容をあらましお伝えしましょう。これは、本人の了解を得ていますので、ご心配なく。

 「日ごろ、市営地下鉄には、感謝しながら利用しています。ただ、車内のアナウンスには困っています。特に、1017日何時何分、○○発○○行きの地下鉄は大変でした。

 『○○をご利用いただきありがとうございます。次は○○です。右側のドアが開きます開くドアにご注意くださいお降りの方は車内にお忘れ物ないようご注意ください。○○です。お疲れ様でしたどうぞ気をつけてお帰りください

地下鉄は駅の間が短いのです。一分か二分の間にこれが繰り返し繰り返し放送されるのです。これだけではありません。

ただいま工事をしていますのでしばらく徐行しますお急ぎのところ恐れ入りますがご協力ください』そして『工事区間は終了しましたご協力ありがとうございました

『優先座席の周りでは、携帯電話はお切りください。どうしてもという方はどこか別のところに移動してください

さらには、女性専用車両の案内、優先座席の案内などが入ります。

 ほかの町から帰ってきたとき、わが町の地下鉄にたどり着くとほっとします。しかし、すぐにこの案内が始まるのです。書いた広告は、いやなら見なくてもすみますが、音に対してはまったく防ぎようがありません。隣の人も耳を押さえていました。私は電車を降りてからも、しばらくは耳が痛かったのです。

 近畿圏では、スマートな電車もあります。ピンポンとなってドアが閉まり、「次は○○です」のアナウンス。停車したときも「○○です」、そして必要な乗換え案内だけ。

 わが愛する町の地下鉄も、こんなにスマートになってほしい。これは無理なお願いでしょうか。次からは耳栓を用意しようと思っています。

注)下線の部分は必要ですか。」

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