« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

最後の一葉4

 最後にもうひとつ、The Gift of The Magi を紹介しないといけないでしょう。ここで、Magiは「マギ」ではなくて「メイジャイ」と発音します。キリストが厩で生まれたときに、東方からの賢者(Magi)が来て、贈り物をした。それが、クリスマス・プレゼントの始まりといわれます。

 物語は二人の愛し合っている夫婦。だが、クリスマスに相手にプレゼントをしようにも、それを買うお金がない。そこで、デラは、自分の美しい髪を売ってお金を作り、ジムの時計につける鎖を買うことにした。一方ジムは、デラの髪にふさわしい櫛のセットを、自分の時計を売って購入する。

 この短編について、1976年生まれの日本の女性作家は、次のように書いています。

「大切なものを売って、買ったものが、『相手の外面を飾るもの』であることが、疑問を感じる原因だ。この夫婦はたぶん、『生活』の何たるものかがよくわかっていないのだ。『愛で結ばれた若い男女』を演じるのに頭がいっぱいで、そんな自分が選んだ相手が、人からよく見られれば満足なんだろう。『立派な旦那さんだね』『きれいな奥さんだなあ』。配偶者の評価が上がる=自分の評価も上がる、という考えが透けて見える。あー。いやだいやだ。馬鹿夫婦め。」(三浦しおん「ある若夫婦の欺瞞」『青春と読書』2007年11月号)

 いや本当に偶然です。この冊子を電車の中で読もうと、リュックに入れていったのです。読んでびっくりしました。「おお、こわっ」。夢も希望もない。でも、このように考えるのが、現代の世相かもしれません。

 O・ヘンリーは、この物語の最後に、わざわざ次のように付け加えています。

And here I have lamely related to you the uneventful chronicle of two foolish children in a flat who most unwisely sacrificed for each other to greatest treasures of their house. But in the last word to the wise of these days let it be said that of all who give gifts these two were the wisest. Of all who give and receive gifts, such as they are wisest. Everywhere they are wisest. They are the magi.

「アパート暮らしの子供のような若夫婦が、相手のために自分を一番馬鹿げた方法で犠牲にしてしまう。事件にもならない物語ではある。しかし、この相手に対する思いが二人にとっては何にも代えがたい宝物であると言いたいのです。

 この二人がお互いに差し出したものは、どんなものよりも一番賢明なものであるといいたいのです。贈り物をやりとりする人たち、彼らはもっともっと、いやはるかに利口な人たちかもしれない。それでも、それ以上に、この二人は賢明だと言いたいのです。それこそ東方の賢者なのです。」

 そういえば、彼は、作品のなかで

「人生は、むせび泣きと、すすり泣きと、ほんのちょっぴりの、ほほえみである」と、書いています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

最後の一葉3

 テキサス州のオースティンには、O.Henry Museumがあります。彼の生家を改築して、彼の著作のさまざまな遺品を集めています。

 もうひとつ、O.Henry Middle Schoolという公立の学校もあるのです。Middle Schoolというと、70台後半の人にはなじみの言葉です。旧制の中学校をMiddle Schoolと英訳したのです。昭和22年の学制改革で、日本はアメリカの学制に倣って、六三三制となり、中学校はjunior high schoolとなりました。

 ところが1960年代に、アメリカでは、子供たちの成長が早いので、小学校五年、中学校三年、高等学校四年の五三四制へ移行しようという気運がもちあがりました。すべての学校区でそうなったのではなく、一部の地域に限られたのですが、その新しい中学校をmiddle schoolというのです。そのような進取の気性に満ちた学区の学校ということになります。私はテキサス大学にいるときに、一度この学校を訪問したことがあります。

 ただ、問題は、テキサス時代の O・ヘンリーは決して恵まれたものではなかったということです。ファースト・ナショナル銀行で、出納係として働いていたときに、お金を盗んだという嫌疑をかけられました。当時は銀行の持ち主もずさんな経営をしていたようで、持ち主はもちろん従業員も、ときどき流用しては返すということが、ごく当たり前に行われたようです。

 たまたま、廃刊になった新聞工場が売りに出され、O・ヘンリーは、それを購入して、Rolling Stoneという週刊誌を発行しました。このようなことからの羨望もあったのかもしれません。彼は窃盗罪で起訴されました。

 とりわけ自分の立場を主張するわけでもなく、彼はホンジュラスに逃亡、そして、帰国してから服役しました。その後、ニューヨークで続々と、珠玉の短編を出します。

 かれは四八歳で亡くなりますが、その葬儀は、The Cop And The Anthemに描かれている教会

But on an unusually quiet corner Soapy came to a standstill. Here was an old church, quaint and rambling and gabled. 

というその教会で行われたそうですが、花崗岩の墓石には William Sydney Porter 1862-1910 とあって、O・ヘンリーの名前はないそうです。

 このようなことを考えると、テキサス時代は、あまり良い印象を残していないように思われます。だのに、中学校の名前にもつけられるというのが、私の疑問でした。生徒たちは、O・ヘンリーは、我々の誇りだと言っていました。テキサス時代のことは、気にしていないようでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最後の一葉2

 どの短編も、読み終えたあと、しばらくは静かに作中の人物に思いを巡らしたい。そんな感じがします。

 ただ、大人の読者を相手に新聞に掲載したものだけに、表向きのやさしさに気を取られていると、思わぬどんでん返しをくいます。

 The Last Leaf の最初の部分は、次の通りです。

In a little district west of

Washington Square
the streets have run crazy and broken themselves into small strips called “places.” These “places” make strange angles and curves. One street crosses itself a time or two.

An artist once discovered a valuable possibility in this street. Suppose a collector with a bill for paints, paper and canvas should, in traversing this route, suddenly meet himself coming back, without a cent having been paid on account.

 これは英文の難易度から言えば、スケールの8.0になります。つまり、ネイティブ・スピーカーの中学校二年生の英語のレベルということになります。英文自体は、やさしい英文の部類に入るでしょう。でも、

「ある画家は、ここにあるすばらしい可能性を見出したのです。それは借金取りが画材や絵の具の代金の回収に来ても、あまりにも道路が入り組んでいて道に迷ってしまい、結局は一銭も回収できずに諦めて帰るだろうということです」

 したがって、ここには食事を抜いても絵の具を買おうという貧乏画家が集まってきた。

 こんな意味合いが読み取れればいいのですが、日本語訳では、そこまでうまく訳しているでしょうか。

 訳すといえば、もうひとつ難物があります。

 地下室に住んでいるバーマンは、ドイツからの移民で、ドイツ訛りのまま、いやドイツ語で英語を話します。

“I come mit you. For half an hour I hat peen trying to say dot I am ready to bose.”

「一緒に行くよ。もう半時間も前から言いたかったんだ。あなたの絵のためにモデルになる覚悟はできてるよ」

 これを日本語に訳すときに、英文の感じをだそうとすると、どうなるでしょう。鹿児島弁か秋田弁か。いやごめんなさい。つまり、普通の英語ではない表現を、日本語ではどう表したらよいのでしょうか。迷うところです。それにドイツ訛りには、実直でしかも不器用であるという感じがにじみ出ています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »