季節の移り変わり
沈丁花の匂いが好きである。木犀は前から植えていたが、春先にも匂いがほしいと思って、昨年買ってきて門の脇に植えておいた。三月の初めは、北風が強くて、花が咲きかけているのに気がつかなかった。風の向きで思わぬところから匂ってくることがあるが、「あ、この匂いは」と気がついたときには、もう満開になっていた。
「春が来た」、「夏が来た」というように、これまでも時節の移り変わりには、それなりの感慨はあった。でも、今年は何か違っている。
昨年暮れから、家内が体調を崩したので、その介護と炊事で大変だった。さいわい、春の訪れとともに、家内の体調はどんどん回復してきて、今では、家の中のことに関しては、もう以前とほとんど変わらないようになってきた。でもその回復の過程を通じて、感じたことがある。
今までは、新しい季節が来ても、ただ単にカレンダーが変わったぐらいにしか思わなかったが、それだけではないのである。
そのことは、お互いにひしひしと感じている。つまり、「来年も同じように春を迎えられるであろうか」そんな疑問が、ごく自然に浮かんでくるのだ。この季節のひとまわりは、ひょっとしてもう一度同じように経験するとは限らないのではないか。
来年も、今と同じように生きているという保障はどこにもない。単にひとつ歳をとるというだけではない。夫婦のどちらにしても、生きていることはもちろんであるが、一方が寝込んだり、入院したりすると、もうその介護に追われることになる。そうならないという保障はないのである。そう思うと、今の季節の移り変わりは、二度と経験することがないかもしれないという、きわめて厳粛な気持ちになってしまう。
家にあるものも、これまでは「またそのうちに使うこともあるだろう」と、しまっておく。しかし今さら、後生大事にものを溜め込んでいてもしようがない。そんな気がする。それに、仕舞い込んでいては、なんの役にも立たない。だからできるだけ使っていこう。そして、使えないものは、処分してしまうことも考えねばなるまい。
それだけではない。遣り残したと思うことは、今のうちにどんどんやっていこう。「また、来年にでも」ということは、ありえないかもしれないのである。
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