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季節の移り変わり

 沈丁花の匂いが好きである。木犀は前から植えていたが、春先にも匂いがほしいと思って、昨年買ってきて門の脇に植えておいた。三月の初めは、北風が強くて、花が咲きかけているのに気がつかなかった。風の向きで思わぬところから匂ってくることがあるが、「あ、この匂いは」と気がついたときには、もう満開になっていた。

 「春が来た」、「夏が来た」というように、これまでも時節の移り変わりには、それなりの感慨はあった。でも、今年は何か違っている。

 昨年暮れから、家内が体調を崩したので、その介護と炊事で大変だった。さいわい、春の訪れとともに、家内の体調はどんどん回復してきて、今では、家の中のことに関しては、もう以前とほとんど変わらないようになってきた。でもその回復の過程を通じて、感じたことがある。

 今までは、新しい季節が来ても、ただ単にカレンダーが変わったぐらいにしか思わなかったが、それだけではないのである。

 そのことは、お互いにひしひしと感じている。つまり、「来年も同じように春を迎えられるであろうか」そんな疑問が、ごく自然に浮かんでくるのだ。この季節のひとまわりは、ひょっとしてもう一度同じように経験するとは限らないのではないか。

 来年も、今と同じように生きているという保障はどこにもない。単にひとつ歳をとるというだけではない。夫婦のどちらにしても、生きていることはもちろんであるが、一方が寝込んだり、入院したりすると、もうその介護に追われることになる。そうならないという保障はないのである。そう思うと、今の季節の移り変わりは、二度と経験することがないかもしれないという、きわめて厳粛な気持ちになってしまう。

 家にあるものも、これまでは「またそのうちに使うこともあるだろう」と、しまっておく。しかし今さら、後生大事にものを溜め込んでいてもしようがない。そんな気がする。それに、仕舞い込んでいては、なんの役にも立たない。だからできるだけ使っていこう。そして、使えないものは、処分してしまうことも考えねばなるまい。

 それだけではない。遣り残したと思うことは、今のうちにどんどんやっていこう。「また、来年にでも」ということは、ありえないかもしれないのである。

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ラフカディオ・ハーン4

 ハーンといえば、私たちの心に残っているのは、なんといっても「怪談」でしょう。彼は「怪談」に、Stories and Studies of Strange Thingsという副題をつけていますが、strangeは、今の(西洋の)「常識では説明がつかない」という意味です。

 松江の宍道湖の河畔に、「耳なし芳一」の像があります。うっかりすると見落としそうですが、大きな木の下にひっそりと座っています。

 お寺の住職が、芳一の身体全体にお経を書いて、平家の怨霊から守ろうとする。ところが、耳にだけは書くのを忘れてしまったのです。そこで、両耳をそぎ落とされてしまう。

 人間の生きている世界と、死者の世界を行き来する物語ですが、その結末が、耳をそぎ落とされるという、残酷さです。

 でも、最後には次のように書いています。

But from the time of his adventure, he was known only by the appellation of "Mimi-nashi-Hoichi”: ”Hoichi-the-Earless.”

 しっかり読んでいると、平家の怨霊といい、語り手には一番大事な耳を「そぎ落とされる」ということも、なんだか納得がいくような気がするから不思議です。

 怪談には「雪女」などもありますが、なかでも、すばらしいのは、「むじな」でしょう。たった三頁の短いものですが、ゆっくり情景を思い浮かべながら読んでいると、思わず身の毛がよだちます。

 One night, at a late hour, he was hurrying up the Kii-no-kuni-zaka, when he perceived a women crouching by the moat, all alone, and weeping bitterly.

 身投げでもするのではないかと、通りがかりの男は心配になって、話しかけます。

「ねえ、こんな夜中に、若い女の人がいるところじゃないよ。わけを話してごらんよ」

 Then that o-jochu turned around, and dropped her sleeve, and stroked her face with her hand; --and the man saw that she had no eyes or nose or mouth—and he screamed and ran away.

「その女はゆっくりとこちらを向いた。そして、顔を隠していた着物の袖をおろし、顔を覆っていた手をゆっくりと下ろした。

 そこに、男が見たものは、なんと、目が無い、鼻がない、そして、口もない。

男は悲鳴をあげて、つっ走った。」

 この結末は、本文に任せるとして、ハーンはこれでなにを言おうとしたのでしょうか。

 第一に考えなければならないことは、夜は真っ暗だということです。今では考えられないかもしれません。しかし、真っ暗というのは、光がないということです。月夜であれば、かなり見えますが、そうでなければ、本当に暗いのです。でも曇っていても、道は白くぼんやりと見えます。そのぼんやりと見える道を走りに走って、見つけたのが、ちょうちんをぶらさげた屋台だったのです。

 人間の生きている世界と、その幻影とも思える世界。それが当時の日本では混然としていたと言えるのではないでしょうか。いやそれは、今でも同じかもしれません。西洋式にきちんと分けようと思っても、分けられない世界なのです。

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ラフカディオ・ハーン3

 To the bamboo lattice of my study-window a single dewdrop hangs quivering.

Its tiny sphere repeats the colors of the morning—colors of the sky and field and far-off trees. Inverted images of these can be discerned in itーalso the microscopic picture of a cottage, upside down, with children at play before the door.

「私の書斎の窓の竹格子に、朝露がしずくとなって、震えながら垂れ下がっている。その小さな宇宙に、朝のさまざまな風景が写っている。空、畑、そしてさらに遠くの木々の色彩の移り変わり。これらの景色が逆になって、はっきりと見てとれる。逆さになった向こうには、わら屋根があり、そして、その戸口で遊んでいる子供たちもいる」 「」内は私の訳。

 これはホートン・ミフリン社発行のThe Writings of Lafcadio Hernの第16Kotto and Kaidannに収められた“A Drop of Dew”の冒頭の文章です。

 改めて見直してみると、日ごろの私たちの生活から、このようにゆったりと自然を眺める余裕がなくなってしまったようですね。みんなが、格差社会だ、お金だと、自分ひとりではどうにもならないことで騒いでいる。

 ハーンは、このように自然のなかに生きる人間の生活というものを、しっかりと書き留めていたのです。それは現在の忙しい社会では、前に言及したことがある、Veronique VienneThe Art of Doing Nothingの世界でしょう。何もしないで自然を見つめようと思うと、今では、十分なお金を出して、仕事や世間から隔離されなければできないのです。

 でも、そのような生活は、いつでも身の周りにあるのです。いつでも、その気になりさえすれば、自分たちの手の届くところにある。そのような気がしています。

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ラフカディオ・ハーン2

 彼が書く文章は、言うまでもなく英語の文章ですが、名文であると、多くの人が書いています。

 かの坪内逍遥は、田部隆次の『小泉八雲』という本の序文に、次のように書いています。

 彼は名文家であると評されていたが、「私はそれだけではたらぬように思った。同氏の筆はすこぶる音楽的である。・・・語調がおのずからそのものの声になって鳴響している」

「いかにも親切な優しい人柄が浮き上がって見える。いかに心性を直覚することに秀でた人で、いかに観察が繊細であるかがみえる」と、それこそ文字通り筆舌を尽くして褒めています。

 名文家というと、日本文の場合は、美辞麗句を並べて書き立てた文章を思い浮かべますが、英文、とくにアメリカの場合はそうではありません。

 あのスタインベックも彼を名文家の中に加えているのです。John Steinbeck 1966. America and Americans Americans and the World

 彼は、「ジャーナリストは二流とか三流の文筆家とヨーロッパでは見られているが、アメリカでは逆なのだ。ジャーナリストは、尊敬すべき職業であり、作家にとってはよい修練の場である」(同書)と書いています。つまり、記者として一人前で通用しなければ、文筆家とはいえないということでしょう。

 「いかに対象、あるいは物事の本質を捉え、それをわかりやすく人に伝えることができるか」が、ジャーナリズムの基本であることを思えば、当然かもしれません。

 ハーンの文章には、ゆったりとしたときが流れています。時間ができた今、私は改めて、その自然の流れをじっくりと味わいたいと思っています。

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ラフカディオ・ハーン

 神戸市立博物館の建物の北側には、居留地の象徴ともいわれたオリエンタル・ホテルがありました。あの地震の後ここに来て驚きました。建物は立っていましたが、窓という窓のすべてからひび割れが走り、まったく無残な光景でした。すぐに取り壊され、その後は長い間駐車場になっていましたが、今ここでは、新しいホテルの建築が行われています。

 さらにその北側の区画の西側の隅にも、工事中の幕が張られていますが、ここにはその昔コウベ・クロニクルという新聞社があって、ラフカディオ・ハーンがしばらくそこで働いていたといわれる由緒ある場所です。

 ハーンは1894年から96年までの2年の間でしたが神戸に滞在し、クロニクルに毎日論説を書いていました。松江に滞在した期間よりも神戸のほうが若干ですが長いのです。しかも、ハーンは神戸在住中に帰化して「小泉八雲」と日本名をなのる重要な時期でした。今の県庁の西側にはハーンの住居跡の碑があります。こんなことを考えると、神戸はもっとハーンとの結びつきを強調してもいいのではないかと思います。

 ただ私が 神戸の歴史を調べていて気になったのは、「ハーンは神戸が嫌いだった」という文章があったからです。嫌いだから逃げ出したというわけではありません。ここから東京帝国大学の英文学の教授として迎えられるのですから、その話があったときに、記者の職をなげうって神戸を離れたのは当然のことでしょう。

さて、その「嫌い」の理由をよくよく調べてみると、彼の手紙には、神戸の住人に失望したのではなく、居留地に住んでいた人たちへの失望でした。

 「やわらかい声ではなしをする日本婦人」「やわらかい畳の上のいつもやさしい、礼儀ただしい、うるわしい、清い、質朴な生活」に慣れてしまった今では、外国婦人の「気取った英米服」「つまらない流行、ひどく高価な生活、きどり、声、無駄話」はたまらない。「いわゆる文明というものがどれほど嫌いであったか、今まで気がつかなかった」と、手紙に書いているのです。

 コウベ・クロニクルは居留地の中にあったので、このような感想が生まれたのでしょう。考えてみると、今の時代にも、そのまま当てはまりそうな感じがしますね。

 文明開化の名の下に、新しいものをどんどん取り入れるあまり、一方で古いものをどんどん壊していく風潮もたまらなかったのでしょう。神戸は、まさにその最先端でした。

 このように言われてみると、神戸、すなわち居留地に、彼があまりいい印象を持たなかったというのには納得がいきます。

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新老人4

 新老人の最終章は、すっと前にできていました。しかし、昨年暮れに突然家内が体調を崩し、私が食事からなにから日常のルーティンをやることになり、毎日奮闘していました。今やっと回復の見通しがつき、ほっとしています。

 それにしても、日ごろの家事は大変ですね。買い物、調理だけでなく、買ってきたものを残さないように使い切る。電子レンジや文明の機器をフルに活用しながらも、それでも、毎日三食のプラニングだけでも大変です。現役時代に男は外の仕事があるからと、のほほんとしていましたが、家事はそれに匹敵する仕事量です。ましてや、退職後は外の仕事はないのですから、積極的に家事も分担することでしょう。今までの考えがいかに甘かったかを通感しました。

<千の風>

 昨年の一月に、秋川雅史の「千の風の詩」が一位になったということですが、それ以来ずっとこの歌の人気が続いています。

 「私は墓の中にこもっているのではありません。いつもあなたのそばにいる」という内容が多くの人の感銘をさそいました。

 私もこの詩は好きです。特に二節目は輝いています。

I am a thousand winds that blow

I am a diamond glints on snow

I am the sunlight on ripened grain

I am the gentle autumn’s rain        (Author unknown)

「そよそよとやわらかに吹いている風 それが私です

積もった雪の上にダイヤのように輝くもの それが私です

実って頭をたれた穂にふりそそぐ太陽 それが私です

秋になってあなたを包むように降る雨 それが私です」

「」内は私の日本語訳

 この詩を読みながら、ふと思ったことがあります。この作詞者不詳となっていますが、もともときちんと韻を踏んだ英語の詩です。生と死をはっきり分けているキリスト教文化で生まれた詩ではないでしょうか。

 なぜこの詩が共感を呼ぶのでしょうか。そのことを思いながら、気がついたことがあります。現在、私たちの生活の日常から、先祖の位牌が消えてしまいました。そして、消えると同時に、人々は孤独になってしまったのではないでしょうか。そう思うのです。

 ドラマにはよく出てきますが、居間には仏壇があり、毎朝手を合わせて拝む。

「今日も元気で一日がおくれますように」そして、夕方には、「今日はこんなことがあったんですよ」と話しかける。

 このように亡くなった先祖や人々は、お墓の中ではなく、常に身の回りにいたのです。それだけではありません。

 日本にはお盆という風習があって、八月の中旬には、お墓に先祖の霊を迎えに行き、仏壇に納めて数日を一緒に過ごし、またお墓までお送りする。そのような習慣がありました。

 あのラフカディオ・ハーンは、あの世とこの世が一体化した日本の文化に強く引かれて、ついには日本に「小泉八雲」として帰化しました。「帰化は妻と子供たちの行く末を思って」と解説している本もありますが、私はあえてそう思っています。

 その日本の文化を、私たち自身も見直すときではないでしょうか。たとえ、身体は消えても思い出は、家族に、子供に、そして孫に、ずっと残っているのです。そして、何時までも、何時までも、ダイヤモンドのように見守ってやることができるのです。この世から消えることを、そんなに恐れる必要はないでしょう。

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