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雨ニモアテズ1

 「雨ニモアテズ 風ニモアテズ

雪ニモ 夏の暑サニモアテズ・・・」

 ちょっと待ってよ。それもしかして、宮沢賢治のあの有名な詩のことではないの。それであれば、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」でしょう。

 いや、そうではないのです。もうちょっと、しんぼうして読んでみましょう。

「リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

北ニケンカヤ訴訟ガアレバ

ナガメテカカワラズ」

 なにやら今の世相を鋭く指摘しているようで、落ち着かない感じですね。さらに、この詩は続きます。

「日照リノトキハ 冷房ヲツケ

ミンナニ 勉強勉強トイワレ

叱ラレモセズ コワイモノシラズ」

わはあ!大変だ。

 実はこれは、筑摩書房の『ちくま』という読書誌に載っていた記事の冒頭にある詩です。

 筆者の色平哲郎は、

「詠み人知らず」と書いてありますが、「この詩をはじめて読んだとき、とても怖いと感じました。ズボシだったからです。日本の四十代から下の若い世代は、私だけでなく、ほとんどがこの詩にあるような人間ではないでしょうか」と、「自分も含めて」と断りながら書いています。

 本当に四十代以下の世代は、このように考えているのでしょうか。

 学校生活を送っているうちに、また社会に出て会社や組織で働いているうちに、だんだんと「社会のなかの自分」とか「組織の中の自分」ということを学んでいきます。

 だが、そのように成長することができなかった人々が大半だということでしょうか。それとも、そのような学習の機会がなかったとか。

 四十代から下の世代と色平氏は言っています。四十代といえば、今会社や官庁などの組織の中では、中心になって活動している人々、まさに影響力の一番大きい世代です。

 まさか、このような意識で、社会を動かしているとは思いたくありませんが、時々ニュースの表面に出てくる人たちの行動原理には「そうだったのか」と思わせるものが多い気もします。

注)色平哲郎 「無謀な企て」『ちくま』20082月 第443号 筑摩書房

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不敗の民4

 同じような趣旨の歌に、よくご存知の「ケ・セラ・セラ」があります。

 一九五六年にヒッチコックの「知りすぎた男」でデビューしました。ドリス・デイ ショウ(1968~73)のテーマ・ソングにもなりました。ドリス・デイの声は明るいですね。

 Que será seráはスペイン語で、英語ではWhat will be will be.です。まったくラテンの雰囲気です。「なるようになる。」日本ではペギー葉山の歌で、よく流行しましたね。

「ねえ、お母さん

私は大きくなったら、きれいになって、お金持ちになれるの?

そんなことわからないよ

なるようになるの」

親子の他愛ない対話が出てきます。

 でも、エンヤのOnly Timeは、同じような趣旨でしょうが、雰囲気が全然違うのです。人間の声と、楽器がまったく同じレベルなのです。つまり、声を押し殺して、全体との調和を図りながら、それでも、必死に訴えようとする。

 エンヤは書いています。「これでいいのかな。恋愛したほうがいいのかな、子供を生んだほうがいいのかな、という迷いが以前はあったけれど、自分で人生を決めてここまでやってこられたのだから、そういった充足感が、今になって音楽に表れているのだと思う」(CD解説)

 自然の強さ(狂暴さといってもよいかもしれない)の中で、それと調和させながら、しっかりと生きていこうという秘められた力にあふれているような感じがするのです。

 「アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だと思っている。・・・ごく自然に、しかも個々にそう思っていて、たれが何といおうとも、自分あるいは自民族の敗北を認めることがない。」と、司馬遼太郎は『愛蘭土紀行』に書いています。(P170

 歴史が始まって以来、負け続けたけれども、精神的には絶対に負けを認めない。そういうしぶとさでしょう。

 アイルランドが気になるのは、このように対極的な位置にある民族性のせいかもしれません。

注)司馬遼太郎「愛蘭土紀行」『司馬遼太郎全集61』文芸春秋社1999 

Enya a day without rain. 2000 Warner Music UK Ltd

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不敗の民3

 「エンヤは、女の子の間では、よく流行っていますよ」

レコード店でCDを買ったとき、店員はそう教えてくれました。

 エンヤとは、本名をエニア・ニ・ブリーナイン(英語読み)というアイルランドの女性歌手です。

 このCDは不思議なCDです。最初に入っているA Day Without Rainには、人間の声が入っていないのです。

 「何日も何日も降り続いた雨。それがやっと降り止んだ。」

 おそらくその喜びでいっぱい。人間の声で、どんな形であっても、具体的に示したくなかったのかもしれません。

 そういえば、ゴールウエイからバスに乗って、コークに行ったときは雨でした。豪雨というのではなく、しとしとと降り続く雨です。

 バスが早く着いたのであたりを散歩しました。川辺に来たときに驚きました。

川の水が真っ黒なのです。茶色の洪水には慣れているけれども、真っ黒な水には慣れていません。

「何で真っ黒なんだ」

と、そのとき、思いつきました。

「泥炭だ。そうだ、ここは、岩と、その上に積もった泥炭の国なのだ」

 アラン島で買ったアイリッシュ・リュートのみやげ物を思い出しました。こげ茶色で黒光りがしているのです。

 そのときたまたま日本人の一団がはいってきました。「これは何からできているのか。」リュートを取り上げて聞いています。

「ピートだ」

 peetという単語を知らなかったのでしょう。「ピートって何ですか」

peet!」店員は大きな声で繰り返しました。それしか言いようがなかったのでしょう。

 さて、このCDの三番目にはOnly Timeという曲が入っています。

Who can say

Where the road goes

When the day flows

Only time.

「私がたどっているこの道が

どちらに行くのか

今日の日がどのようになるのか

わかっているのは、時間だけでしょう。」

というOnly Timeを最初に聞いたときには、アラン島で見たアイリッシュ・ダンスを思い出しました。

 人に気づかれないように、上半身は全然動かさないで、下半身だけで踊る。いや首だけは右や左に動かします。それでいて、足の動き、とくに靴の響きは、まさに秘められたエネルギーといった感じで、思わず圧倒されました。たった男四人、女二人のチーム。今写真を取り出してみると、服装も黒と紺という地味なものでした。

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不敗の民2

 そういえば、司馬遼太郎は「愛蘭土紀行」のなかで、ニューズウイーク(日本版19871217)の記事を紹介しています。(245ページ)

「アイルランドから若者がいなくなる日」というタイトル。「失業率二〇%-改善の見込みがない不況のなか、過去五年間に七万五千人以上の若者が海外に移住した」というサブタイトル。

 さらに、

「いずれは、移住できる人間さえもいなくなるであろう。石の上の国土というだけでもロマンティックなのだが、石を食うわけにはいかない。

氷河が去ったあとの傷あととしての湖、それにドラムリン丘陵。さらには降り注ぐ日照り雨(そばえ)と森。それに冬もあおい牧草。神々が住むとしかおもえない美しい国土ながら、美しさを食うわけにもいかない。」

と、ダブリン大学の人口学を講義している教授の話も、あわせて紹介しているのです。(「愛蘭土紀行」P245

 「美しい。」確かにそうなのです。なだらかな傾斜、点在する石の垣根、そして海岸に出ると、見渡す限りの断崖絶壁。でも、「美しさだけでは食っていけない」という話は、あながちわからないことではありません。

 そういえば、ダブリンからゴールウエイへの汽車の中で、真向かいに座った女性は、あの詩とは違って、日本でごく普通に見かける気さくな人でした。

 「私は、毎年子供たちのところに行って、一ヶ月二ヶ月と滞在するのです」

 なんでも、アメリカに一人、ブラジルに一人、そしてどこといったのか覚えていませんがもう一人海外にいる。だから毎年子供のところに行くのが楽しみだ、というのです。

 「この国に子供がいるのか」と聞くので、「別に誰も居ない。しかし、ずっと前からアイルランドに来たかった。やっと時間ができたので、家内と二人で来た。」

その人はびっくりした顔をしました。「こんなに、何もないところを?」

 司馬遼太郎が、愛蘭土紀行を書いたのは、一九八七年前後でしょう。私がアイルランドに行ったのは一九九九年のことですから、それから一〇年ほどたっています。

 そして、九九年ではすでに、アイルランドには、住宅の建築ブームが起こっていました。それに、「交通渋滞がひどい」

「このような、広い自然のなかで、どうして」と聞くと、

「どの家族も子供が五人や六人はいる。そのみんなが車を所有している。だから毎朝ものすごい交通渋滞が起こる。」

 そのあと数年して、世界的なIT革命が起こり、若者が力を発揮しだしたのはご存知の通りです。

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不屈の民1

 日本人は、アイルランドが好きなのでは? いや「日本人は」と言いきるのは、無理かもませんね。ただ私は、アイルランドという国に、なぜか惹かれるのです。アイルランドが、日本と同じように、小さい国だからというだけではないでしょう。

 その昔、次のような詩がありました。

汽車に乗って

あいるらんどのような田舎に行こう

ひとびとが祭りの日傘をくるくるまわし

日が照りながら雨のふる

あいるらんどのような田舎にいこう

車窓に映った自分の顔を道づれにして

湖水をわたり、トンネルをくぐり

珍しい顔の少女や牛のあるいている

あいるらんどのような田舎にゆこう

(丸山薫。昭和一〇年刊・詩集『幼年』-新潮社「日本詩人全集」より

「日が照りながら雨が降る。」珍しい雨ですが、日本にも「狐の嫁入り」という雨がある。そんな雨だろうか。「珍しい顔の少女や牛」って、どんな顔なのだろう。でも、「あいるらんどのような田舎」というのは、なんとなく感じがわかる。

 家内と一緒に一週間ほど、アイルランドの各地の旅をしました。

 驚きは、イギリスにいるときから始まりました。ヒースロー空港では荷物がよく無くなるということだったので、荷物を受け取ってからカートを押しながら、長い通路を歩いて、アイルランド航空の搭乗口へ行きました。なんと、待合室のあたりが緑一色なのです。

 それが、ダブリンについてみると、郵便ポストまでが緑なのです。「ポストは赤い」と思っていたので、まったく新鮮で、心地よい驚きでした。世の中、まさにさまざまです。しかし、事態はそれだけではないのです。バスも緑、いやバスにはいろいろな色がありました。しかし、「赤ではない。」

 バスの現地のガイドからも、私たちが旅行者と見て話しかける人々からも、「イギリスとは、絶対に一緒ではない」という、なにかイギリスに対する敵がい心にも似たものがあふれている感じさえしたのです。

 ずっと、イギリスという国に、搾り取られ虐げられた人々、小麦は年貢でとられ、やむなく主食にしていたジャガイモまでが育たなくなった飢饉で、多くの人が国を出ていかざるを得なかった。そんな歴史を思い出しながらあたりを見ていると、いたるところに、その影響が感じられました。

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くちびるに歌を4

 「たった一人しかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に活かさなかったら、人間生まれてきたかいがないじゃないか」

 二〇〇六年のブログには、締めくくりとしてこの言葉を載せました。同じ山本有三の『路傍の石』からの引用です。

 小学校、中学校の多感なときに、このような言葉を、ぜひ聞かせてやりたい。人間の生き様について、そして、それぞれに精一杯生きている人々の姿を伝えてやりたい。

 今紹介したSingは、小学校の音楽会では、必ず取り上げられる曲のひとつです。子供たちの声は、透き通っていて、ただそれだけですばらしい。それに、クラスのみんなが力をあわせて懸命に歌っている姿をみていると、感動されずにはいられません。

 そして、できるならメロディーだけでなく、歌が言おうとしているメッセージも、ぜひ伝えてやりたいものです。

 山本有三は、この詩を、次のように結んでいます。

他人のためにも言葉を持て
なやみ、苦しんでいる他人のためにも
さうして何でこんなに朗らかで
いられるのか
それをかう話してやるのだ
唇に歌を持て
勇気を失ふな
心に太陽を持て
さうすりゃ何だって
ふっ飛んでしまふ

 いや、私もこれを思い出して、元気づけられました。本当に「くちびるに歌」です。

 私たち「新老人」には、年数は限られているかもしれない。しかし、だからこそ、明るく生きていきましょう。

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くちびるに歌を3

 カーペンターズにも、Singという歌があります。

Sing, sing a song

Sing out loud

Sing out strong

Sing of good things, not bad

Sing of happy, not sad.

Sing, sing a song

Make it simple to last your whole life long

「歌いましょう

大きな声で、力強く

悪いことではなく、良いことを

悲しいことではなく、しあわせなことを

歌いましょう

短い言葉でいいのです

ずっと歌い続けましょう」

 crystal clear(宝石のように透き通った)といわれた声を持っていたKarenの歌には、心に響くものが多くあります。

 私が持っているCarpenters GoldというCDの解説には、彼女の声について、 ‘her incredible voice was uniquely warm and irresistible’ (人間の声としては信じられないかもしれないが、彼女の声には、独特の温かさと思わず引き込まれるなにかがあるのです)と賞賛しています。

 ただ、最初はドラムを叩いていて、表にあまり出たがらなかったKarenです。歌い始めて、どんどん人気が出てきました。あまりの人気とタイトなスケジュールに、つぶされそうになっていく。I Won’t Last A Day Without You(あなたなしでは一日もいられない)のレコーディングをするころには、もう野菜のサラダ、それもドレッシングもかけないで食べただけという状態でした。そしてついに、力尽きてしまいました。

 よくわかりませんが、当時の様子からみると、「うつ」の症状がみられるので、現在であれば薬と静養で完全によくなったのではないかと悔やまれます。

 歌うのも、プロとして歌うのはつらい。しかし、私たちは、自分で歌えばよいのです。自分に聞こえるように、口ずさめばよいのです。

 歌いましょう、自分だけの歌を。

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くちびるに歌を2

 そういえば、「唇に歌を」という詩がありました。この映画を見た後で、ふと、この言葉を思い出したのです。そこで、Googleで検索してみると、山本有三の「心に太陽を」という詩の一部であることがわかりました。旧仮名遣いで書いてあるので、読みにくいかもしれませんが了承ください。

唇に歌を持て
ほがらかな調子で
日々の苦労に
よし心配が絶えなくても
唇に歌を持て
さうすりゃ何が来ようと平気じゃないか
どんな寂しい日だって
それが元気にしてくれる

 そうなんです。どんなときでも、たとえ苦しいとき、悲しいときでも、唇に歌があれば、いや声になって出てこなくても、頭の中でメロディーがなっている限り、絶望の谷底に陥ることはないのです。

 今このように言うのは、じつはここ数ヶ月の間に、私自身が大事なことに気がついたからです。極端に疲労したとき、人間の頭からメロディーがなくなっているのです。

 夜中に目が覚める。そのとき、なんらかのメロディーが浮かんでくるときには、すぐ眠りに入ることができます。しかし、苦しいときには、メロディーが浮かんでこないのです。まったくの空白なのです。いや真っ黒な暗闇だといっても良いでしょう。こうなると、寝付かれません。羊が一匹二匹、いや百匹でも二百匹でも、とうていダメでしょう。

 このことに気づいてから、朝起きたときには、カーペンターズを聞くことにしました。朝食の準備をしながら、あるいは、コーヒーの豆を挽きながら、メロディーを頭にぶち込んだのです。

 夜中に目が覚めても、メロディーが浮かんでくると、それを追っているうちに自然に眠りにつくことができます。

 モーツァルトの癒しの音楽でも、同じことがあるかもしれません。しかし、人間の声のほうが、頭に残りやすい。それが新しく発見したことです。

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くちびるに歌を1

 事故を起こした18歳の少年が、卒業の寄せ書きに「命は大切だ」と書いていたそうです。

 ここのところ少年の事件が相次いでいて、学校で「命の大切さを教えよう」とよく言われます。しかし、命の「大切さ」というものを、どうやって教えたらいいのでしょう。言葉で「大切」といって、子供たちの心に通じるものでしょうか。教育にたずさわった経験者として、いつも気になります。

 先日「ビルマの竪琴」という映画をみました。今年(二〇〇八年)の二月に九十二歳で亡くなった市川氏の監督による作品です。

 この映画は、一九五六年と八五年の二回作られています。私がビデオで見たものは白黒の作品なので、おそらく一九五六年のものでしょう。

 仲間に降伏するように説得に出かけた水島隊員が、説得に応じようとしない隊長の下で、時間切れになり砲撃がはじまります。結局、負傷して元に戻ることができず、ビルマの僧侶に助けられます。やっと元気になって一人で隊に戻る途中、あちらこちらに日本兵の無残な死骸をみるのです。

 山の斜面に重なって倒れた死体に鳥が群がって目玉を食いちぎっている。密林の中では木にもたれたまま息を引き取った兵士、手には家族の写真と思われるものが握られている。そして川岸に打ち上げられた日本兵の死体の山。

 「生きて恥をさらしてはならぬ。」戦時中にはそう教わった日本国民。そういえば、いま政治家が軽々しく「国民」という言葉を使っているけれども、「このような重大な言葉を、こんな場面で使っていいのだろうか」と、つい思ってしまう。

「日本国民は、男も女も、子供も、最後の一人まで戦うのだ。一億玉砕だ。」子供の心に、この言葉は重かったのです。

 さて、水島上等兵は、これらの兵士の遺体を埋め、供養等を建てるまで日本には帰れないと、心に決める。

 この映画のなかでは、二人の隊長が浮き彫りなっています。一人は三国連太郎の井上隊長。音楽好きで、隊員に合唱を教え、つらい時にこそ「みんなで歌おう」と励ます。水島上等兵も、この隊長から竪琴の引き方を習ったのです。

 一方、三角山に立てこもった部隊の隊長は、偏狭な玉砕意識に凝り固まった人間です。降伏を拒み、そのため、ほとんどの隊員が命を落とす。

 組織の中で、特に上下関係の強い中では、上に立つものの良識が部下の生命を左右する。市川監督は、このことも言いたかったのではないでしょうか。

 最後に、井上隊が日本に帰るとき、水島は収容所の鉄条網の外に来て、「仰げば尊とし」を竪琴で演奏し、ビルマの木立の間に消えていく。

 ビルマは今、ミャンマーと名前を変え、軍事政権の下で、民衆はあえいでいます。取材中に、長井さんが銃撃されたのも、このミャンマーです。

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