不敗の民4
同じような趣旨の歌に、よくご存知の「ケ・セラ・セラ」があります。
一九五六年にヒッチコックの「知りすぎた男」でデビューしました。ドリス・デイ ショウ(1968~73年)のテーマ・ソングにもなりました。ドリス・デイの声は明るいですね。
Que será seráはスペイン語で、英語ではWhat will be will be.です。まったくラテンの雰囲気です。「なるようになる。」日本ではペギー葉山の歌で、よく流行しましたね。
「ねえ、お母さん
私は大きくなったら、きれいになって、お金持ちになれるの?
そんなことわからないよ
なるようになるの」
親子の他愛ない対話が出てきます。
でも、エンヤのOnly Timeは、同じような趣旨でしょうが、雰囲気が全然違うのです。人間の声と、楽器がまったく同じレベルなのです。つまり、声を押し殺して、全体との調和を図りながら、それでも、必死に訴えようとする。
エンヤは書いています。「これでいいのかな。恋愛したほうがいいのかな、子供を生んだほうがいいのかな、という迷いが以前はあったけれど、自分で人生を決めてここまでやってこられたのだから、そういった充足感が、今になって音楽に表れているのだと思う」(同CD解説)
自然の強さ(狂暴さといってもよいかもしれない)の中で、それと調和させながら、しっかりと生きていこうという秘められた力にあふれているような感じがするのです。
「アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だと思っている。・・・ごく自然に、しかも個々にそう思っていて、たれが何といおうとも、自分あるいは自民族の敗北を認めることがない。」と、司馬遼太郎は『愛蘭土紀行』に書いています。(P170)
歴史が始まって以来、負け続けたけれども、精神的には絶対に負けを認めない。そういうしぶとさでしょう。
アイルランドが気になるのは、このように対極的な位置にある民族性のせいかもしれません。
注)司馬遼太郎「愛蘭土紀行」『司馬遼太郎全集61』文芸春秋社1999
Enya a day without rain. 2000 Warner Music UK Ltd
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