« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

みんなの英語1

 「時代は、ここまで進んできたのか」と、いささか感無量でした。

 イギリスのロンドンにOffshore Englishを教える学校があるというのです。しかも、それが大いに繁盛している。(Newsweek,

May 8, 2008

)

 Offshore English というのは、新しい表現です。語の意味からすると、「海外で使う英語」。ただし、これはイギリスからみての表現ですから、一般的にいうと「国際英語」くらいになるかもしれません。ただ、国際英語という言葉には、あまりにもいろいろな色がついています。そこで、「世界規模で使う英語」あるいは「地球語としての英語」がよいかもしれません。

 とにかく、将来、世界的な舞台で、会社や組織の中心になって働こうという人々の必要条件として、新しい英語を基盤にしたコミュニケーションを教えているというのです。

 まず、その理由を探ってみましょう。

 今や、世界規模の会社では、世界各国からの人々が働いています。そこでの会議は、おそらくは英語で進められるでしょう。しかし、イギリス人やアメリカ人が、自分たちの言葉だからといって、口語表現も含めて、ぺらぺらとしゃべりまくると、ほかの人たちにはついていけません。コミュニケーションがbreak down(破綻)するのです。

 私自身も、このことについては、何回も体験しました。これまでは、我々の英語力が足りないのだと自分を責めるのが普通でした。でも、ネイティブの方が、謙虚な気持ちで、この点をちゃんと認識してきたのです。

 英語が外国語であるアフリカ諸国や日本などの出身者、あるいは、第二言語であっても、相当表現が違ってきているインドやシンガポールなどの出身者が十分に理解できないことは大いにあるのです。いくら「おれはネイティブ・スピーカーだ」といばってみても、誤解されたり、疎外されたりしたのでは、仕方がありません。

つまり、「英米国以外からの出身者にも十分にわかる英語」でなければならないという認識が生まれてきたのです。「時の流れ」というのは、このことです。

 では、どのような英語でしょうか。まず、語彙の制限です。約一五〇〇語の、よく使われる単語を中心に構成されています。しかも、イディオムは使わない。例えば、pull out all the stopsなんてしゃれた言葉は使わないで、make every possible effort(これであれば、私にも十分に使えます)と、きちんという。それからgetなどさまざまな意味合いで使われる単語は避けて、「取得する」はobtainとラテン系の言葉ではっきりと表現する。

 これだけではありません。効果的なプレゼンテイションの方法、会議の持ち方など、異文化を前提にしたコミュニケーションに関してのトレーニングも含まれています。

 こうやってoffshore Englishを勉強すると、「確かに語彙のレベルは落ちるかもしれないが、あなたの会社での業績は、確実に伸びるでしょう」というのが、うたい文句です。どうです。行ってみませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

降圧剤ーコラム2

 「最高血圧が172と高いので、やはり下げたほうがよい」

 四ヶ月に一回、札幌まで出かけて行って、間質性肺炎の専門医の診察を受けている。先生は、血圧を測るのに血圧計を使わない。手で脈を取って、それで血圧がいくらと診断する。まるで神業のようで、心から信頼している。

 カルシューム拮抗剤を、三〇年以上飲み続けていた。それが心臓をブロックする副作用があるという記事があった。実際に、その薬の副作用かどうかはわからないが、私には房室ブロックという症状が起こっている。ブロック自体は心配ないといわれているが、これ以外にも副作用があることは間違いない。

 そこで、近所の医院に相談したら、ディオバン(AT1ブロッカー)を処方してくれた。念のためパソコンで調べてみたら、なんと重大な副作用として間質性肺炎を起こすと書いてある。こんなものは、飲むわけにはいかない。

 そこで、一昨年のことである。一年かけて降圧剤を飲むのを止めることにした。時には頭が充血する感じもあったが、なんとか一年かけて、昨年の六月には、飲まなくても160-90ぐらいになり、やっと降圧剤におさらばした。

 しかし、昨年の一二月から家内が調子を崩して、買い物や炊事など大変なことになった。夜も十分に寝られない状況に加えて、料理の本をみて調理をしていると、せっかく減塩食になっていたのが、普通の塩分をとるようになってしまった。これも原因のひとつであったろう。

 さらに運動もできなくなった。それまで週に二回は、一時間くらい社交ダンスを踊っていたが、それがだめになった。それに、週に一回は、大学まで、五つの交通機関を乗り継いで通っていた。二コマ、学生と一緒に討論する。いい気分転換で、終わったあとは、疲労もあったが気分がすっきりした。これも、七五歳が最終の定年になって、今年の二月からは大学で教えることもなくなった。

 北海道から帰った翌朝のことである。血圧を測ってみると、なんと最高が204で最低が105もあった。さすがにこれは高いと思った。そこで手元にあったカルスロットの一錠を半分に割って飲むことにした。五月二六日まで六日間、そうやって薬をのんだ。その結果、160-90に落ち着いてきた。

 もう一度、浜六郎の『血圧は薬で下げるな』を読み直してみた。「薬を飲まない」要点は、運動、減塩、そして、ストレスをかわす(ストレスはなくならない)ことである。

 運動としては、気候もよくなってきたことだし、できるだけ歩く。それに二階の洋室で狭いけれども、できるだけダンスの練習をする。一人でもやむをえない。さらに、塩分を削減する。レシピの塩分量を半分以下にすればよい。これらは、何とかいけそうだ。それに、嬉しいことに家内も回復してきて、家事はもとどおりにできるようになった。

 あとは、ストレスである。忙しかったことは確かである。しかし、あれもこれもきちんとやろうとして、気がついたら、以前、つまり、若いときにバリバリ仕事をしていた時のように、上半身を緊張させて、特にのどの奥を緊張させて動きまくっていたのである。

 このことに気がついていなかった。歩くペースも速い。ジャガイモの皮をむくのも速い。本を読むペースも速い。何もかも速くなってしまっている。七〇代の人間らしく、ゆったりしなければいけないのだ。

 時には、ボーっとして、自分の体の声を聞きながら、自然な気持ちで行動することである。これには、ハワイアンの音楽を聴くのがよいことがわかった。そういえば、ワイキキのビーチで、夕方に撮って、四つ切りに伸ばした写真があった。

 そうだ。それを書斎に飾って、気候もよくなったことだし、ハワイにいると思えばよい。そう思ったら、気分が大分楽になった。

 今から新しい内科医を探す。これだけでも大変だ。探し出せたとして、これまでの経緯を話して、事情を理解してもらう。たとえ、そこまでうまくいっても、薬で高血圧症がなおることはない。死ぬまで薬を飲むことになる。そのあげく副作用に苦しむなら、いっそ飲まないで済むよう、自分で対処するしかない。

 ストレスをかわすというのは、生活態度を変えること。つまり、すべてを受け止めるという姿勢をやめる。

 そして、体からできるだけ緊張をぬくということである。これは楽しい修業ではないか。やろうではないか。と、五月晴れの日に、気持ちを新たにしたのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

楽しく老いる3

 「すでに日本のある出版社が翻訳権を取っているので、あなたに翻訳してもらうことはできません」

 私は、この軽妙なタッチに引かれて、翻訳させてくれと手紙を出したのです。きちんと返事が来ました。でも、断りの手紙でした。

 断られてよかったと思っています。自分でクスクスわらいながら読んでいるぶんには問題ないのですが、実際に翻訳するとなると大変なのです。

 第一に、人の名前がたくさん出てきます。その人がどのような人なのか調べないと、的確に真意を伝えることはできません。今ならインターネットで簡単に調べられますが、当時はまだアメリカの同僚にメールを送るのに、専門家の助けを借りないとできませんでした。

 そういえば、David Brown氏はいったい何者なるかということが、この本には出ていませんでした。

 今Googleで調べてみると、映画の演出家、あの『ジョーズ』、日本で『評決』と訳された固いものからDriving Miss Daisyというほのぼのとした映画まであり、オスカーにノミエイトされたこと四回という怪物です。そのとき翻訳の許可がでなくてよかったと思っています。仕事の片手間で翻訳できるような代物ではありませんでした。

 彼の本には、いろいろと助けられました。

No booze(お酒は飲まない)

No salt(塩分はとらない)

No sugar(糖分はとらない)

No fat(脂肪はとらない)

No red meat(肉は食べない)

そして、最後にもうひとつ、No fun(人生、生きていても楽しくナーイ)。

 ブラウン氏は、一九一六年生まれですから、私よりも一六歳年上です。もう九一歳。奥さんと楽しく年を取られた様子が、インターネットの写真に出ています。

注 David Brown 1987. BROWN’S Guide to Growing GRAY.

Delacolte Press

,

NY

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

楽しく老いる2

 「驚いたのなんの。いや申し訳ないやら、恥ずかしいやら。

 パーティで、なかなかキレイな女性に出会ったのです。どこかで会ったことがる。取り留めのない話をして、翌朝よく見ると、私の隣で寝ているではないですか。なんと、その人は、私の妻だったのです。」

 思わずクスクスと笑いました。電車のなかですから、隣の人が、何が起こったのかと私を見ています。

 「忘却よ、ありがとう」とブラウン氏は書いています。「このようなすばらしい経験は、歳をとってからでないとできません。忘れることを楽しむことです。」

 どうです。この心意気は。

 「短期の記憶は忘れやすい。それは長期の記憶を保存しておくために人間に備わった自然の摂理です。」

 そういえば、例えば、「何々の歌が懐かしい」というときには、その歌そのものがよいだけではなく、その歌を一生懸命に聴いた、あるいは、歌ったときの自分の青春を思い出しているからでしょう。

 あるいは、年を重ねて、新しい解釈ができているのかもしれません。私は和歌山で勤めているときに、あることに気づいたのです。

 春になって、有田のあたりから先に行くと、両側にある山の斜面が真っ白になるのです。そして、なんともいえぬ甘酸っぱいよい香りがしてくるのです。そうです。みかんの花です。

 終戦後まもなく(昭和二一年)爆発的にヒットした「みかんの咲く丘」、川田正子の声がさわやかでした。そのとき、私の頭にはただ、白い花が咲いているという白色しか頭になかったのです。しかし、そこには甘酸っぱい匂いがある、そのことに気づきました。歌を聴きながら、匂いを思い出す。いいですね。

 もっとも、ときどき肥溜めの臭いもしてきましたが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

楽しく老いる1

 しばらくの間、話が固くなってしまいました。人間、いつもしゃちほこばっては生きていけません。このあたりで、ふっと肩の力を抜きたいと思っています。

 そもそも私がこのような文章を書きたいと思ったのは、ひとつの手本があったからです。

 一九八八年のことです。たまたま入ったシアトルの書店で、横積みになった本を見かけました。ベストセラーだそうです。タイトルは Brown’s Guide to Growing Gray. 「ブラウン式加齢法」、もう少しくだけていうなら、内容を取って「ブラウン式―楽しく老いる法」

 ちょうど五十五歳で一応の退職をして、次の職場に移ったときでした。読んでみると、年を取ることを笑い飛ばしている。なんともいえぬ快感がありました。

 ちょっと内容をのぞいてみましょう。

 例えば、第六章のタイトルは、It’s Not Over Till It’s Over.「終わるまで、終わってはいない」です。

 なんとここには、あの「千の風」の詩が載っています。今からやく二〇年前のことです。やはり作者はわからぬと書いてあります。

「私の墓の前で泣かないでくれ。私はそこにはいない。私は死んではいない」

 続けて、「避けられないものに腹を立てようが、諦めの境地になろうが、それはその人の勝手です。しかし、(夕暮れの)影の長さをいつまでも嘆いて、時間をむだにしてはいけない」と書いてあります。

「気楽に生きよう。借金取り(あの世の便り)が何かの都合で遅れているときに、わざわざ借金取りが来るのを待つなんて、ばかげたことは止めましょう。野球監督のヨギ・ベラは言ったじゃないですか。『最後の球がグローブに入るまでは、試合はまだ終わっていない』」

 この章の余白には、「千の風になって」を、私なりに一生懸命に考えて訳して書いていました。もともと、この歌は「私は生きていますよ」という楽しい歌なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨ニモアテズ4

ミンナニ デクノボウトイワレ

ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハナリタイ

 宮沢賢治は、「雨ニモマケズ」の詩を、このように結んでいます。

 一九九一年発行のパロル舎版では、さらにもう一ページ、南無妙法蓮華経と、お経が付け加えられています。

 最初の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」の意気込みと、この締めくくりとは、どのようにつながるのでしょうか。いったいどのような生き方を目指したのでしょうか。賢治の人生を、腰をすえて読んでみないと、本当のことはわかりません。

 ただ、

ドンナコトガアッテモ ヒトニ責任ヲ カブセズ

ジブンデ ジブンノ 人生ヲ キリヒライテイク

サウイフモノニ ワタシハナリタイ

 このような気概と人生に対する意欲を、孫たちの世代には、ぜひとも持ってもらいたい。

 この思いはどうやったら伝えられるでしょうか。口で言うだけではだめでしょう。ただひとつ、まわりの者が自分の行動で示すしかない。

 陰山氏の言う三つの性向は、四〇代の親たちの背中を見て育った結果であり、四〇代の親たちは、またその上の親たち、つまりは昭和ヒトケタ、および一〇年代に生まれたひとたちの姿を見て育った結果でしょう。

 この世代は、青少年期の多感な時に終戦を迎えました。それまでの常識が一八〇度転換してしまった。家長とか長男に代表される家族関係を始め、あらゆる価値観が変わってしまった時代です。伝統をぶち壊すことに必死になって、子供たちに、はっきりと生きる姿を見せられなかったのかもしれない。それが、めぐりめぐって「雨ニモアテズ」の世代になり、「なんでも人のせいにする」世代になった。

 だから、後期高齢者の私たちにも責任がある。自分でできることは自分でやり、人のせいにしないで、しっかりと自分を生きていく。

 サウイフ スガタを見せることしかないのではないか。と、こんな結論になってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨ニモアテズ3

『フランダースの犬』という有名な童話があります。

 司馬遼太郎の「オランダ紀行」は、その前の「愛蘭土紀行」と並んで、読み応えがありました。オランダのように小さな国が、日本が近代国家に成長していく過程で、どれほど大きな影響を与えたのか、まさに驚くばかりです。あの長崎の出島でさえ、「鎖国という暗箱のピンホールの役目(司馬氏のことば)」を果たしました。

 そのなかで、ふうっと息が抜けるような話があります(実際は息を抜いてはいけないのですが)。

 司馬氏がオランダからベルギーに行って、アントワープ市の聖母大聖堂に詣でたときの話です。そこには、ルーベンスの「キリスト降架」という傑作があります。

 日本からの観光客も、この大聖堂をよく訪れるそうです。それは、『フランダースの犬』という「十九世紀の児童文学の大きな収穫」とされる童話が、この絵の前で最後の場面を迎えるからです。

 ネロ少年とその唯一の友達である老犬が、世間から見放されて、生きていく望みを失い、この教会の祭壇の前にたどり着く。そして普段は見ることのできないルーベンスの「キリスト降架」という傑作が、この最後の瞬間に、目の前に見えたのです。その前で、少年と老犬は冬の夜の底冷えの中、だんだんに冷たくなっていきます。

 ところがですよ。アントワープの町の人も、ベルギーの人々も、この話をほとんど知らないというのです。作者はイギリスの女流作家ウィーダ(1939-1908)

 この童話がなぜ現地で、またイギリスで、評判にならなかったのか。司馬氏は、その原因を次のように分析しています。

「少年と犬とが、寄り添って慰めあいつつ生き、結局は疎外に打ちひしがれて死ぬのだが、・・・ネロ少年は十五にもなっているのに、なぜ雄々しく自分の人生を切り開こうとしなかったのか」

 うん、そう言われてみれば、確かにそうだ。

「自立、個人の独立ということばには、他人に支配されないこと、自分で考えて行動すること、他人の権威を借りないこと、他に依存しないこと、他人の援助をあてにしないこと」

「そういう近代の美徳に、わが『フランダースの犬』は、適わなくなったのである」(p427

 つまり、自分は何もしないで、他の人に責任を転嫁する人間は、人間としての存在を認めるわけにはいかないということでしょうか。

 ヨーロッパの国々を賞賛するつもりは、まったくありません。現在、イギリスもフランスも、移民だけでなく、自国の人々の中でも、さまざまな問題を抱えていて、あえいでいます。そのエネルギーが、外に行くのか内に向うのかわかりません。でも、現状を打ち破ろうという意欲を、そして、そのエネルギーの存在そのものを、高く評価しようという文化を、うらやましく思うことはありませんか。

注 司馬良太郎 「オランダ紀行」『司馬遼太郎全集61』文芸春秋社 1999

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨ニモアテズ2

(1)周囲の人間や社会に対する不平不満、批判が多く、問題を人や社会のせいにしがち

(2)「物事はうまくいって当たり前」と考えるため、少しでもうまくいかないと自信を失ってしまう

(3)それでいて、「このダメな状況を一気に解決する夢のような方法がどこかある」と信じている

 これは、百マス計算で有名な陰山英男氏が、「ゆとり教育」で育った世代の特徴として、挙げたものです。(『週刊ダイアモンドhttp://diamond.jp 4/17/2008)

 このような性格が「ゆとり教育」のせいでうまれたといえるかどうかはわかりません。しかし、今学校では、自分の子供しか見えてない親の存在に悩まされています。これはまさに(1)の性格が表に出ただけのことでしょう。

 最近ニュースになる事件のほとんどは(2)の結果とも考えられます。自信を失ったがゆえに、刃物などでの殺人に走ってしまう。

(3)についても、「自分は動こうとしないで、夢ばかり見ている」と、よく言われています。

 したがって、ここに挙げられたいずれの性向も、今の子供たち(大人も含めて)にあることは、否定できない気もします。

 ただ、「ゆとり教育」のためにこうなったと、短絡的には言いたくはありません。

 一人で食事をかきこむ個食に代表される今の家族のあり方にも、責任があるでしょう。一人一人のスケジュールが忙しすぎる。

 それに、家庭や学校が子供の性格形成に及ぼす影響よりも、今では、ゲームや携帯などの機器の世界の方が、子供の成長に大きな影響を与えているのです。

 あるいは、格差社会と叫び続ける社会にも、関係があるかもしれません。そう考えると、現在私たちがおかれた世相の流れの、必然の結果ともいえます。

 原因がひとつのときは、それをなくせば事態は好転するのです。しかし、このように複合的になると、しかも、それが時代の流れとすると、簡単に抜け出すことは無理でしょう。むしろ、この現実を受け入れるしかありません。

 ただ、このように指摘されると、私たちは不安になってしまうのです。親たちが子供ためにと、ときには自分を犠牲にしてまで、個室を与え、パソコンや携帯を持たせ、子供のためにと努力していることが、本当は、子供のためにも、家族や社会のためにもなっていないのではないか。

 あたりを見回してみると、近所の子供たちも、あなたの子供も私の子も、出会ったらきちんと挨拶はする。話は十分に通じるし、みんないい子です。なにかの事件が起こったとき、テレビのインタビューでは、必ずこのようなコメントが出てきます。しかし、その表面の内側では、このような性格が育っている可能性がないとはいいきれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »