神戸のハーン1

 ハーンといえば、松江が有名です。お城の堀端にある彼の住居(小泉八雲記念館)を訪れたことがあります。多くの人が訪れていました。少し行ったところに八雲蕎の店があって、そこもまた大繁盛でした。

 彼は、松江の後、熊本に行き(そのときの住居跡の碑も残っているようです)、そして神戸に来ました。松江に滞在した期間よりも神戸に滞在した期間のほうが長いのです。その上、神戸に滞在中に、ハーンは、日本に帰化したのです。

そのことから考えると、神戸というものは、彼の生涯にとってかけがえのない意味を持つ滞在地でしょう。ですから、神戸は、もっとハーンのことを宣伝すべきではないかと思っていました。

(この部分に彼の住居跡の碑の写真を載せるつもりで、いろいろやってみましたが、うまくいきません。そのうちに何とか載せるようにします。

 ところで、この近くには関帝廟や雪御所跡もあり、なかなか見るところが多いのです。ですが、観光地図に八雲の住居跡の表示はありません。

 また、勤務先の神戸クロニクルは、居留地の中にありましたが、彼は居留地の外に住んでいたということは、象徴的なことに思えます。)

 先日、ハーンの住居跡を訪れてみました。地図を頼りに地下鉄の大倉山駅から歩いていくと、それらしいところには、県の労働会館という表示があります。その事務所で所在を聞いてみようと、入り口に入りかけたら、玄関までの空間の左側に、彼の旧居跡の碑がありました。

 「平成六年(一九九四)は、八雲が神戸に住んでからちょうど百年にあたる。これを記念してここに小泉八雲の遺徳を偲び、神戸との関わりをこの碑にとどめる」

題字は、当時の兵庫県知事の貝原氏で、作は部兵三とあります。

 もっと詳しいことが知りたいと思って、中にはいると、奥まったところに図書室があって、その隅に、小泉八雲についての資料が数点おいてありました。

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もみじマーク3

 この文章を書いているときに、とんでもない記事をみました。

 朝日新聞の「声」欄への投稿です。大阪在住のHさん(七七歳)は、もみじマークをつけていて、最初の二週間だけで二度も恐怖を感じたというのです。

「一回目は、日中、国道を走行中のこと。後続車がぴったりと後ろについてクラクションを鳴らし続けるので、コンビニの駐車場に入ったところ、罵声を浴びせて去った」というのです。

 そして、二回目は「四つ辻で一次停止したところ、二人乗りのバイクが横付けして窓を叩きながら『もみじマークを付けた者が街を走るな』とまくし立てた。」

 Hさんは、「老人を粗末に扱う風潮が、世の中に蔓延してきたように思う。」と非常におとなしく結論を述べておられます(『声』2008620日朝日新聞)。

 しかし、それだけで済ませていいのでしょうか。同じ国内で、ただ年齢が七五歳を過ぎたというだけで、このようなマークを強制できるものでしょうか。

 またしても、アメリカでのことを思い出してしまいました。日本でのある学校の開学の記念に、なにかモニュメントをと探していたときのことです。

 有名な彫刻家がいるということで、アメリカ人の担当者と一緒にシアトルの郊外にある工房にお邪魔しました。少し早く着きすぎたので、あたりの針葉樹林を散歩していました。すると、大きなキャデラック、まさに年代物でしたが、朝霧の中を向こうから登場してくるのです。まさに劇的な登場でした。

「すごい車ですね。」私は思わず言ってしまいました。

「いや古いけれどね。これはよく馴れているし、それに頑丈だから安全だ」と、何のてらいもなく言うのです。

 実をいうと、車もそうですが、その彫刻家も、すでに九十歳を過ぎていたのです。それでも、自分で車を運転して、この工房にやってきて、まだまだやる気満々。それを、当然と受け入れる社会。

 「アメリカが好きか」と聞かれると、今のアメリカに対しては、おそらく”No”と答えるでしょう。でもこのような社会全体のおおらかさには、心から惹かれるのです。

 先ほどの話に戻りましょう。濡れ落ち葉マークは、当分付けないでおこうと思っています。

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もみじマーク2

 私の市では、七〇歳以上の人には敬老乗車証がもらえて、バス、地下鉄が無料になっています。だからというわけでもないでしょうが、町にも商店にも、年寄りの存在が目立ちます。みんなそれぞれに歩きながら、店をのぞいたり、話をしたり、人生を楽しんでいます。そして、なにがしかの金を使っています。

 ところが、昨年から無料パスはやめにしようということになりました。

 その言い分は、こうです。これから、そくぞくと七〇歳以上の高齢者が増える。その全員に無料パスを渡すと、その経済的負担が大きくなりすぎる。また、その一部は、交通局、私バスなど運行者が負担している。運行者の負担にも限度がきている。(市広報)

 私の地域でも、バスが三〇分ごとですが、運行しています。そのほとんどが敬老乗車証の乗客です。ですから運賃箱にお金を入れる人はほとんどいません。

 昨年暮れに一回だけですが、乗客の調査がありました。敬老乗車証か、福祉乗車証か、通勤パスか、現金かという調査です。その結果については公表されていません。

 しかし、日ごろの様子から推定はできます。おそらく敬老乗車証がほとんどでしょう。そうすると、それがなくなると、果たしてお金を払ってまで、乗るでしょうか。

 近くの繁華街に行こうとしても、地下鉄を合わせると、一〇〇〇円を越えます。これは、二人の夕食一回分の材料費に相当します。そうなると、歩くか外出を控えるか。そうなると、バスは空で走る。地下鉄も、わずかな通勤の時間以外はガラガラになるかもしれません。

 運行者が負担しているといわれますが、誰も乗らなければ、負担を云々しているどころではないでしょう。人件費と燃料の無駄遣いになります。だったら、バスの運行をやめるということになりませんか。

 みんな交通機関を頼りにしないで、歩くときが来たのかもしれません。バスや地下鉄で、わざわざ下町まで出かけて行く必要もないでしょう。

 そういえば、そのようなときが、ほんの六〇年前にありましたね。私たちが育った子供のときに返ればよいのです。若返るのです。そう思えばすっきりするではありませんか。

 そしてついでに、子供ときに徹底的に仕込まれた「欲しがりません、勝つまでは」を活かしましょう。その調子で、「欲しがりません。死ぬまでは」としてはどうでしょう。

注一.わが市では、結局、向こう二年間は、小児運賃の半額を支払うということになりました。その後は、小児運賃になりそうです。これは、考えられるなかでもっとも妥当な解決法だと思います。これぐらいは、喜んで出しましょう。できるだけ動いて、まちの活性化の手助けをしましょう。枯れ木も山の賑わいですから。

注二.敬老乗車証がフルに使われているかというと、そうでもありません。私は週に四回くらい使いますが、家内は一回使うかどうかです。ほとんど使わない人もいるでしょう。

 つまりは、敬老に名をかりた交通機関への資金援助でしょう。これを止めたとき、交通機関の収支がどうなるかは目に見えています。ゴミの収集などと同じように、地方自治体の住民へのサービスはいかにあるべきか、根本的に問われるときのようですね。

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もみじマーク1

「『濡れ落ち葉マーク』なんてつけるのは、どうも気が進まないね。」

「『もみじマーク』のことですか。それだったら、六月一日から、つけることになっていますが。」

 オートバックスの若い女の子は、何にも気にした風はありません。まったく事務的に渡してくれました。

 でも、このマークはどうみても、「もみじ」の形はしていません。もみじの葉には、ちゃんと突起があります。目を三角にしても、四角にしても、どうみても、これには突起はありません。それに、車体に張り付いているところをみると、濡れ落ち葉そっくりでしょう。おまけに葬式用の黒枠までつけてあります。

 「濡れ落ち葉」ということばを調べてみました。日本俗語事典によると、

1989年に流行語大賞を取ったそうです。「定年退職後の夫のことで、仕事人間だった夫が家では邪魔な存在であることを表現したことばである。・・・妻が出かけようとすると『わしもついて行く』といい、どこにでもついてくる様が、払っても払ってもなかなか落ちない落ち葉に似ているからである」と書いてあるのです。

 今さらこのマークをつけろとはね。どうでしょうねえ。これは高齢運転者にたいする差別にはならないのでしょうか。といささか腹立ち気分で、『高齢者の安全運転』という全日本自動車教習所教会連合会の本を読んでみました。付録に、次のようなことがかいてあります。

「高齢者運転マークをつけて普通自動車を運転している場合に、周囲の運転者は、標識をつけた自動車に幅寄せ、割り込みをしてはならないこととし、高齢運転者の保護を図っています。」P119 

 幅寄せや割り込みをしないのは、当たり前のことでしょう。そのほかに何があるのだろう。半信半疑でマークをつけて走ってみました。別に変わりはありません。一日二日と運転しているうちに、とんでもないことに気がつきました。

 この教本によると、「高齢者は反応時間が遅い、認知判断力が低下している、おまけに動体視力が極端に落ちる」などと書いてあります。それが事実であることは認めます。

 しかしですよ。もしなにかの事故があったときには、高齢者のほうに落ち度がない場合にも、この落ち葉マークを見て、「だからこいつのほうが悪い。だいたい、判断力が鈍いと『もみじマーク』に書いてあるではないか」と言われそうな気がします。

 もし事故があったとしても、これまでは、相手の免許証を見て、生年月日まで確かめることはありません。警察を呼び、損保会社の社員を呼んで処理するだけでしょう。

 こう考えると、「こりゃ待てよ」ということになりませんか。あなただったらどうしますか。

 いまのところ、今年一年はつけていなくても、指導にとどめるということです。でも、どうやって指導するんでしょうね。運転者が白髪だったら、みんな停止させるのでしょうか。

 そのうちに、この法令も変わるかもしれませんね。「七十五歳以上は、いつも『私は運転能力が劣る』というマークをつけて走れ」とは、明らかに老人に対する差別でしょう。

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みんなの英語6

 もうひとつ日本の英語教育で、全くといっていいほど視野に入っていなかったことがあります。

 それは、日常生活で英語を使うことを前提にしていなかったことです。高校生や大学生がアメリカやオーストラリアにホームステイに行きますが、ステイした家族と、何も話ができないという事態が、まるで当たり前のように起こっているのです。

 小学校では、主語や述語なんて文法用語よりも、「ただいま」「お帰りなさい」とか、「おやつは、冷蔵庫にあるの?」など、家庭内で使われる表現が、ひとつでも多く英語で言えるようにしたいものです。

 さらに教える内容の問題があります。「今朝、朝ごはんでなにを食べましたか」というような質問は、小学生は喜んで答えますが、中学生、高校生になると、馬鹿らしくて答えようとしません。「下らんことを聞くな」という意識がでてくるのです。小学生だったら、「えーと、えーと」といいながら一生懸命に答えます。つまり、ことばを教えるには、精神的な成長段階を考慮しなければならないということです。

 このような要件をうまく取り入れながら、勉強というのでなく、遊び心で英語をものにしていくようにしむけることでしょう。

 ただ、このような活動をする塾があるかと聞かれると、首を傾げます。第一月謝をとって、このような遊びを指導する塾に、今の親御さんたちが満足するでしょうか。

 だからこそ、と言いたいのです。小学校で、友達どうしでゆったりと遊びながら、英語という、日本語とは別の言語体系に、なじんでほしいと思うのです。

 小学校段階でのことばの習得は、ドリルを中心にした勉強ではありません。英語を、ことばとして自然に身につけさせることです。そうすれば、中学校でやることの多さにたまげることなく、すくすくと伸びていくでしょう。

 英語教育の本当の目的は、日本語という母語のほかに「私は英語という別のことばが使える」「英語で、自分の思うことが通じるし、相手の言うこともわかる」という自信、そのような自分に対する自信が持てるように、育てることではないしょうか。

 戦後六〇年、英語教育への考え方も、「教材中心」から「学習者中心」にむけて、大きく変わってきました。今教えている人たちのどれぐらいが、このような変化を認識しているか、いささか心もとない感じもしますが。

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みんなの英語5

 「英語を得意にする方法はありますか」と聞かれたら、私はためらうことなく「あります」と答えます。

 まず、小学校四年くらいから英語を始めることです。それは、まさに審議会が答申したことです。公式には二〇一一年からとなっていますが、多くの学校で英語教育がすでに始まっています。

 ただ、心配なことはいくつかあります。小学校では、従来の英語教育とは、まったく違う次元のものでなければならないのですが、それが十分に理解されていないことです。

 私は、英語教育学会の論文審査委員を、つい昨年までしておりました。驚いたことに、応募された論文の中に、毎朝一〇分ほど、英語のQ&A(質問と、それたいする答え)を流して、子供たちに覚えさせるという実践レポートがありました。

 このような取り組みをどう思われますか。このようなやり方はいわゆるドリル中心の学習です。これまでやって失敗したように、ことばが、実生活から遊離してしまうのです。まるで、立派な車を買ったから、運転しないで、みがくばかり、人から見えるように車庫の中に、飾っておくというのと同じです。

 少なくとも、学習の初めには、ことばと生活が密着していなければなりません。そのためのよい導入が、歌でありゲームなのです。「歌とゲームだけではすぐに飽きてしまう」という現場の声もあることは知っています。

 しかし、歌は日本語とは違うイントネーションやリズムをつかむのに効果的です。小学校四年では、日本語の音体系がすでにできあがっていて、英語の音をすぐには聞き取れません。

 例えば、次の例でよくおわかりでしょう。ハワイの日系新聞に面白い記事がありました。「次に降ります」とバスの運転手にいうときには、「揚げ豆腐」といえばよいのに、日本から来た人は、つづりにこだわって、よう言わない。つまり、日本語の音体系では、そのように発音すると、英語の音体系に一番近いのです。そう思いながら、孫たちの発音を聞いていると、まさしくこのように発音しているのです。

 小学生は正直ですから、最初は日本語の音体系で、発音するかもしれません。でも一年ほど聞かせていると、自然に、”I’ll get off.” と英語らしく言えるようになります。

 次にゲームです。“Fruit Basket”や“Saimon says”などがよくしられています。そのほかにも、興味あるものが多くあります。ゲームというものは、言葉を真剣に聞かなければ行動できません。

 「言葉を通じて行動する」、「言葉は相手を動かす」という原則、つまりコミュニケーションの第一歩を学習することになります。これらをうまく組み合わせてカリキュラムを作ればいいのです。

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みんなの英語4

 さて、日本の英語教育ではどうなっているでしょうか。

 これを調べるのには、日本では、文部省の指導要領を見るのが一番でしょう。中学校で指定されているのは九〇〇語、高等学校「英語」では、それに四〇〇語を加え、「リーディング」でさらに九〇〇語を加える、となっています。単純に計算すると、二二〇〇語ぐらいになります。

 しかし、注意しなければならないのは、これは表出語彙ではないということです。受容言語でもありません。ただ単に学習する語彙ですから、受容語彙にもなっていないかもしれません。その上、これまでは文系を重視していましたから、カバーする語彙にも偏りがありました。

 こうみると、一〇年も習ったけど、英語が使えないというのは、当然でしょう。語彙の絶対数が足りないのです。その上に、英文を訳して文法の解説をするという授業では、使える語彙数を増やすことにはなっていません。このことはきちんと認識すべきでしょう。

 「うちの子が、学校をやめるっていうんですよ。英語の授業についていけないみたいで。公立に転校するって。」いつもは冷静な母親の声がうわずっている。

これは、ある新聞に掲載された学習塾の教師の投稿です。(「挑む」日本経済新聞2008,5,18

 筆者は、私立の難関中学に進学した子の母親からの電話と紹介していますが、これは認識が少し足りません。それに思い上がりもいいとこです。英語の難しさは私立だけではなくて、公立でも同じことがいえるのです。注

 中学校で九百語と簡単に言いますが、これは必修単語です。これ以外に、身近な表現に使われる語彙、教科やクラブ活動の名称が加わります。英語を習い始める一年生の教科書に出ている単語数は、六百語にもなります。

 さらに、問題があります。私は以前に難易度を示す指数を使って、日本の英語教科書を分析したことがあります。なんと、中学校三年(習い始めてから三年)ではFog IndexGrade 6、つまりネイティブ・スピーカーの小学校六年生の難しさを持つものが教科書にでてくるのです。六年生というと十二歳、ネイティブ・スピーカーが十二年かけて、その言葉の中で覚えてきたことを、三年間で、しかもわずか週に三時間の勉強で、できるように要求しているのです。

 考えられますか。英語が一番難しい教科のひとつであることは間違いありません。中学三年の間に、三分の二以上が脱落してしまうのです。

注 塾の講師の返事は、「英語を投げなさい」ということでした。

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みんなの英語3

 さて、ここに出てきた語彙数を具体的に考えてみましょう。一五〇〇語というのは、どの程度の語彙数でしょうか。

 その昔(1929)オグデン(正確には、K. C. OgdenI. A. Richards)が、Basic Englishを提唱しました。八五〇語の語彙と簡単な文法で、あらゆることが表現できると主張しました。この理論に従って、Graded Direct Methodが開発され、日本でもこの指導法による英語教授が、特に初期の段階では大きな成功を収めました。私もニューヨーク州を訪れたとき、その指導法を実際に見学したことがあります。

 しかし、ここでいう一五〇〇語というのは、すこし意味が違います。

 一般に語彙数を云々するときには、二種類あることに気をつけねばなりません。ひとつは、人が話したり、文書を読んだりするときに大体わかるというpassive vocabulary (「受容語彙」と私は訳しています)。もうひとつは、自分で話したり書いたりして表現できるactive vocabulary (「表出語彙」同上)です。

 ネイティブ・スピーカーの場合、受容語彙は、多い人で一〇万語ぐらいまでありますが、表出語彙の方は、一万から二万語といわれています。外国語として勉強して活躍している人たちの場合は、五千から一万ぐらいの受容語彙、そして三千から五千の表出語彙ということです。ただし、語彙数は、階層によって大きな違いがありますが、そのことは、今考えないことにしましょう。

 さて、ここでいう千五百の語彙というのは、もちろん表出語彙をさしますから、その背景には相当の受容語彙があることになります。

注 What’s your cell phone number? と、携帯の番号を聞かれたときに、たとえば、090-1324-6587とすらすらと数字が言えれば、ヒトケタの数字は表出語彙になっています。すらすらとはいえないが、相手が言うときには、聞き取れるという場合が受容語彙です。ただし、数字にはくれぐれも気をつけねばなりません。かならず筆記して、相手に確認することが必要です。

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みんなの英語2

 冒頭に「ここまで事態が進展したのか」と述べました。もう少し詳しく説明しましょう。今から一〇年ほど前のことです。一九九〇年後半には、英語の将来についての研究が、相次いで発表されました。

David CrystalEnglish as a Global Language. それからほとんど同時にDavid Graddol のThe Future of English? が出版されたのです。

 このいずれも、英語は将来、世界的に使われるようになるが、それぞれの国や地域のアイデンティティーを活かして、さまざまな変種が生まれるであろうというのが結論でした。

 つまり、イギリス英語、アメリカ英語という覇権は失われて、さまざまな変種ができる。インドではInglish, シンガポールではSinglish, 日本ではJaplishなどと、茶化した意味も含めていわれています。が、それを公認する動きです。それぞれの国の文化や伝統を活かしたものに分化していくのは当然だ、ということでした。

 その一方で、その上位に位置するものとしてWorld Spoken Standard English (世界標準口語英語―国弘氏の訳語)というものができるであろうと、Crystalは述べています。

「国内でしか理解されないような単語や成句は意識的に避け、それに変わるような表現を見つけ出すという形をとる(国弘訳)」

 ただ「この英語はまだ出来上がっていない、いや生まれてさえいない」と述べているのです。(訳書p190

 それからほぼ一〇年たった今、「地球語」を教える学校が設立されたのです。イギリスがインターネットなどで優位になっていたアメリカに先駆けて、一歩のリードをしたということでしょうか。

 Canning Schoolでは、言葉だけでなく、聞き手の文化的好みを考慮にいれることを重要なポイントとして、カリキュラムに位置づけています。

Intercultural trainingでは、Identify the different cultural preferences audiences might have.(聞き手が持っているかもしれない文化的好みを、はっきりとつかみなさい)という項目があり、さまざまな文化を持つ聞き手に、それに応じたプレゼンテイションをするよう訓練されます。

 おりからグローバル化を目指した企業の驚くべき記事が出ていました。

「英断の評価も多かった大型合併・買収から二年。買収した英ピルキントンから英国人社長を迎えることに決めた。・・・日本板硝子は、世界ガラス三位のビルキントン買収で、欧米や新興国市場での事業を拡大し、海外向け売上高を全体の八割に高めた。・・・『海外を回るたびに日本人の手には負えないと感じた』と藤本社長は打ち明ける」とあります。(日本経済新聞 2008512日)

 つまり、せっかく世界にうってでた日本の企業ですが、その社長に、吸収合併した外国の企業の社長を据えざるをえないということです。

 英語は、秘書課の英語屋にまかせればよいという時代は終わったのです。経営者たるもの、英語は当然の武器として駆使できなければなりません。日本の大学で、グローバル化を視野に入れた言葉の教育はできないものかと、心から思うのです。

David Crystal 1997English as a Global Language Cambridge University Press

邦訳 国弘正雄 『地球語としての英語』みすず書房 1999

David Graddol 1997The Future of English? The British Council

邦訳 山岸勝栄 『英語の未来』研究社 1999

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みんなの英語1

 「時代は、ここまで進んできたのか」と、いささか感無量でした。

 イギリスのロンドンにOffshore Englishを教える学校があるというのです。しかも、それが大いに繁盛している。(Newsweek,

May 8, 2008

)

 Offshore English というのは、新しい表現です。語の意味からすると、「海外で使う英語」。ただし、これはイギリスからみての表現ですから、一般的にいうと「国際英語」くらいになるかもしれません。ただ、国際英語という言葉には、あまりにもいろいろな色がついています。そこで、「世界規模で使う英語」あるいは「地球語としての英語」がよいかもしれません。

 とにかく、将来、世界的な舞台で、会社や組織の中心になって働こうという人々の必要条件として、新しい英語を基盤にしたコミュニケーションを教えているというのです。

 まず、その理由を探ってみましょう。

 今や、世界規模の会社では、世界各国からの人々が働いています。そこでの会議は、おそらくは英語で進められるでしょう。しかし、イギリス人やアメリカ人が、自分たちの言葉だからといって、口語表現も含めて、ぺらぺらとしゃべりまくると、ほかの人たちにはついていけません。コミュニケーションがbreak down(破綻)するのです。

 私自身も、このことについては、何回も体験しました。これまでは、我々の英語力が足りないのだと自分を責めるのが普通でした。でも、ネイティブの方が、謙虚な気持ちで、この点をちゃんと認識してきたのです。

 英語が外国語であるアフリカ諸国や日本などの出身者、あるいは、第二言語であっても、相当表現が違ってきているインドやシンガポールなどの出身者が十分に理解できないことは大いにあるのです。いくら「おれはネイティブ・スピーカーだ」といばってみても、誤解されたり、疎外されたりしたのでは、仕方がありません。

つまり、「英米国以外からの出身者にも十分にわかる英語」でなければならないという認識が生まれてきたのです。「時の流れ」というのは、このことです。

 では、どのような英語でしょうか。まず、語彙の制限です。約一五〇〇語の、よく使われる単語を中心に構成されています。しかも、イディオムは使わない。例えば、pull out all the stopsなんてしゃれた言葉は使わないで、make every possible effort(これであれば、私にも十分に使えます)と、きちんという。それからgetなどさまざまな意味合いで使われる単語は避けて、「取得する」はobtainとラテン系の言葉ではっきりと表現する。

 これだけではありません。効果的なプレゼンテイションの方法、会議の持ち方など、異文化を前提にしたコミュニケーションに関してのトレーニングも含まれています。

 こうやってoffshore Englishを勉強すると、「確かに語彙のレベルは落ちるかもしれないが、あなたの会社での業績は、確実に伸びるでしょう」というのが、うたい文句です。どうです。行ってみませんか。

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降圧剤ーコラム2

 「最高血圧が172と高いので、やはり下げたほうがよい」

 四ヶ月に一回、札幌まで出かけて行って、間質性肺炎の専門医の診察を受けている。先生は、血圧を測るのに血圧計を使わない。手で脈を取って、それで血圧がいくらと診断する。まるで神業のようで、心から信頼している。

 カルシューム拮抗剤を、三〇年以上飲み続けていた。それが心臓をブロックする副作用があるという記事があった。実際に、その薬の副作用かどうかはわからないが、私には房室ブロックという症状が起こっている。ブロック自体は心配ないといわれているが、これ以外にも副作用があることは間違いない。

 そこで、近所の医院に相談したら、ディオバン(AT1ブロッカー)を処方してくれた。念のためパソコンで調べてみたら、なんと重大な副作用として間質性肺炎を起こすと書いてある。こんなものは、飲むわけにはいかない。

 そこで、一昨年のことである。一年かけて降圧剤を飲むのを止めることにした。時には頭が充血する感じもあったが、なんとか一年かけて、昨年の六月には、飲まなくても160-90ぐらいになり、やっと降圧剤におさらばした。

 しかし、昨年の一二月から家内が調子を崩して、買い物や炊事など大変なことになった。夜も十分に寝られない状況に加えて、料理の本をみて調理をしていると、せっかく減塩食になっていたのが、普通の塩分をとるようになってしまった。これも原因のひとつであったろう。

 さらに運動もできなくなった。それまで週に二回は、一時間くらい社交ダンスを踊っていたが、それがだめになった。それに、週に一回は、大学まで、五つの交通機関を乗り継いで通っていた。二コマ、学生と一緒に討論する。いい気分転換で、終わったあとは、疲労もあったが気分がすっきりした。これも、七五歳が最終の定年になって、今年の二月からは大学で教えることもなくなった。

 北海道から帰った翌朝のことである。血圧を測ってみると、なんと最高が204で最低が105もあった。さすがにこれは高いと思った。そこで手元にあったカルスロットの一錠を半分に割って飲むことにした。五月二六日まで六日間、そうやって薬をのんだ。その結果、160-90に落ち着いてきた。

 もう一度、浜六郎の『血圧は薬で下げるな』を読み直してみた。「薬を飲まない」要点は、運動、減塩、そして、ストレスをかわす(ストレスはなくならない)ことである。

 運動としては、気候もよくなってきたことだし、できるだけ歩く。それに二階の洋室で狭いけれども、できるだけダンスの練習をする。一人でもやむをえない。さらに、塩分を削減する。レシピの塩分量を半分以下にすればよい。これらは、何とかいけそうだ。それに、嬉しいことに家内も回復してきて、家事はもとどおりにできるようになった。

 あとは、ストレスである。忙しかったことは確かである。しかし、あれもこれもきちんとやろうとして、気がついたら、以前、つまり、若いときにバリバリ仕事をしていた時のように、上半身を緊張させて、特にのどの奥を緊張させて動きまくっていたのである。

 このことに気がついていなかった。歩くペースも速い。ジャガイモの皮をむくのも速い。本を読むペースも速い。何もかも速くなってしまっている。七〇代の人間らしく、ゆったりしなければいけないのだ。

 時には、ボーっとして、自分の体の声を聞きながら、自然な気持ちで行動することである。これには、ハワイアンの音楽を聴くのがよいことがわかった。そういえば、ワイキキのビーチで、夕方に撮って、四つ切りに伸ばした写真があった。

 そうだ。それを書斎に飾って、気候もよくなったことだし、ハワイにいると思えばよい。そう思ったら、気分が大分楽になった。

 今から新しい内科医を探す。これだけでも大変だ。探し出せたとして、これまでの経緯を話して、事情を理解してもらう。たとえ、そこまでうまくいっても、薬で高血圧症がなおることはない。死ぬまで薬を飲むことになる。そのあげく副作用に苦しむなら、いっそ飲まないで済むよう、自分で対処するしかない。

 ストレスをかわすというのは、生活態度を変えること。つまり、すべてを受け止めるという姿勢をやめる。

 そして、体からできるだけ緊張をぬくということである。これは楽しい修業ではないか。やろうではないか。と、五月晴れの日に、気持ちを新たにしたのです。

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楽しく老いる3

 「すでに日本のある出版社が翻訳権を取っているので、あなたに翻訳してもらうことはできません」

 私は、この軽妙なタッチに引かれて、翻訳させてくれと手紙を出したのです。きちんと返事が来ました。でも、断りの手紙でした。

 断られてよかったと思っています。自分でクスクスわらいながら読んでいるぶんには問題ないのですが、実際に翻訳するとなると大変なのです。

 第一に、人の名前がたくさん出てきます。その人がどのような人なのか調べないと、的確に真意を伝えることはできません。今ならインターネットで簡単に調べられますが、当時はまだアメリカの同僚にメールを送るのに、専門家の助けを借りないとできませんでした。

 そういえば、David Brown氏はいったい何者なるかということが、この本には出ていませんでした。

 今Googleで調べてみると、映画の演出家、あの『ジョーズ』、日本で『評決』と訳された固いものからDriving Miss Daisyというほのぼのとした映画まであり、オスカーにノミエイトされたこと四回という怪物です。そのとき翻訳の許可がでなくてよかったと思っています。仕事の片手間で翻訳できるような代物ではありませんでした。

 彼の本には、いろいろと助けられました。

No booze(お酒は飲まない)

No salt(塩分はとらない)

No sugar(糖分はとらない)

No fat(脂肪はとらない)

No red meat(肉は食べない)

そして、最後にもうひとつ、No fun(人生、生きていても楽しくナーイ)。

 ブラウン氏は、一九一六年生まれですから、私よりも一六歳年上です。もう九一歳。奥さんと楽しく年を取られた様子が、インターネットの写真に出ています。

注 David Brown 1987. BROWN’S Guide to Growing GRAY.

Delacolte Press

,

NY

.

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楽しく老いる2

 「驚いたのなんの。いや申し訳ないやら、恥ずかしいやら。

 パーティで、なかなかキレイな女性に出会ったのです。どこかで会ったことがる。取り留めのない話をして、翌朝よく見ると、私の隣で寝ているではないですか。なんと、その人は、私の妻だったのです。」

 思わずクスクスと笑いました。電車のなかですから、隣の人が、何が起こったのかと私を見ています。

 「忘却よ、ありがとう」とブラウン氏は書いています。「このようなすばらしい経験は、歳をとってからでないとできません。忘れることを楽しむことです。」

 どうです。この心意気は。

 「短期の記憶は忘れやすい。それは長期の記憶を保存しておくために人間に備わった自然の摂理です。」

 そういえば、例えば、「何々の歌が懐かしい」というときには、その歌そのものがよいだけではなく、その歌を一生懸命に聴いた、あるいは、歌ったときの自分の青春を思い出しているからでしょう。

 あるいは、年を重ねて、新しい解釈ができているのかもしれません。私は和歌山で勤めているときに、あることに気づいたのです。

 春になって、有田のあたりから先に行くと、両側にある山の斜面が真っ白になるのです。そして、なんともいえぬ甘酸っぱいよい香りがしてくるのです。そうです。みかんの花です。

 終戦後まもなく(昭和二一年)爆発的にヒットした「みかんの咲く丘」、川田正子の声がさわやかでした。そのとき、私の頭にはただ、白い花が咲いているという白色しか頭になかったのです。しかし、そこには甘酸っぱい匂いがある、そのことに気づきました。歌を聴きながら、匂いを思い出す。いいですね。

 もっとも、ときどき肥溜めの臭いもしてきましたが。

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楽しく老いる1

 しばらくの間、話が固くなってしまいました。人間、いつもしゃちほこばっては生きていけません。このあたりで、ふっと肩の力を抜きたいと思っています。

 そもそも私がこのような文章を書きたいと思ったのは、ひとつの手本があったからです。

 一九八八年のことです。たまたま入ったシアトルの書店で、横積みになった本を見かけました。ベストセラーだそうです。タイトルは Brown’s Guide to Growing Gray. 「ブラウン式加齢法」、もう少しくだけていうなら、内容を取って「ブラウン式―楽しく老いる法」

 ちょうど五十五歳で一応の退職をして、次の職場に移ったときでした。読んでみると、年を取ることを笑い飛ばしている。なんともいえぬ快感がありました。

 ちょっと内容をのぞいてみましょう。

 例えば、第六章のタイトルは、It’s Not Over Till It’s Over.「終わるまで、終わってはいない」です。

 なんとここには、あの「千の風」の詩が載っています。今からやく二〇年前のことです。やはり作者はわからぬと書いてあります。

「私の墓の前で泣かないでくれ。私はそこにはいない。私は死んではいない」

 続けて、「避けられないものに腹を立てようが、諦めの境地になろうが、それはその人の勝手です。しかし、(夕暮れの)影の長さをいつまでも嘆いて、時間をむだにしてはいけない」と書いてあります。

「気楽に生きよう。借金取り(あの世の便り)が何かの都合で遅れているときに、わざわざ借金取りが来るのを待つなんて、ばかげたことは止めましょう。野球監督のヨギ・ベラは言ったじゃないですか。『最後の球がグローブに入るまでは、試合はまだ終わっていない』」

 この章の余白には、「千の風になって」を、私なりに一生懸命に考えて訳して書いていました。もともと、この歌は「私は生きていますよ」という楽しい歌なのです。

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